お問合せ先 事務局 0721-56-2372 




第1番 瑠璃宮 薬師寺 やくしじ
法相宗大本山
〒630-8563
奈良市西ノ京町457
電話 0742(33)6001(代)
http://www.nara-yakushiji.com

●薬師寺創建
大海人皇子は壬申の乱の戦いに勝利をおさめ、飛鳥浄御原宮に第四十代天皇として即位されました。天武八年(天武六八〇)、最愛の皇后の病気平癒を祈願し、藤原京において建立を発願されたのが、薬師寺の始まりです。それから七年後、薬師寺の完成を見ることなく、天武天皇は亡くなられ、亡夫の遺志を受け、続いて即位された皇后(第四十一代持統天皇)は、薬師寺七堂伽藍を文武二年(六九八)に完成されました。平城遷都にともない、養老二年(七一八)に現在地に移されました。
その後いく度かの盛衰を繰り返し、享禄元年(一五二八)、兵火により金堂・講堂・中門・西塔・僧坊・回廊等のことごとくが焼失しましたが、近年お写経行者の功徳により、金堂・西塔・中門・回廊・大講堂が復興されました。
薬師三尊(国宝)とは、中尊の薬師如来と脇持の日光菩薩・月光菩薩の総称です。薬師如来は医王如来ともいい、医薬兼備の仏様。欲が深くて、不正直で、疑り深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これもまた病気です。応病与薬の法薬で、苦を抜き楽を与えてくださる抜苦与楽の仏様。だから人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃるのです。薬師寺の伽藍は、薬師三尊を安置している金堂を中心に東西両塔を有する薬師寺式伽藍です。東塔(国宝)は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。各層に裳階という小さい屋根をもち、「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。現在東塔は平成の大修理で平成三十年度の竣工をめざし工事中です。玄奘三蔵院は、玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として、平山郁夫画伯が約三十年の歳月をかけて完成、奉納された大唐西域壁画を絵身舎利としてお祀りし、玄奘三蔵のご遺徳顕彰をいたしております。

●拝観料
大人五百円、中高生四百円、小学生二百円
玄奘三蔵院伽藍公開時(一月一日~十五日 三月一日~六月三十日 九月十六日~十一月三十日)大人八百円、中高生七百円、小学生三百円

●道順
徒歩 
近鉄奈良線または近鉄京都線の西大寺駅で近鉄橿原線に乗り換え、二つ目、西ノ京駅下車すぐ。
自動車 
第二阪奈道路菅原ICより東進二条大路南5で南折、数分。西名阪道郡山ICより国道24号線を北上、柏木町で左折。薬師寺の南側に有料駐車場あり。






第2番 登美山鼻高 霊山寺 りょうせんじ
霊山寺真言宗大本山
〒631-0052
奈良市中町3879
電話 0742(45)0081(代)
http://www.ryosenji.jp/

●薬湯と薔薇の寺
霊山寺のある富雄の里は、古事記には登美、日本書紀には鳥見の地とあります。敏達天皇(五七二~八五)の頃は小野氏の所領でした。右大臣小野富人(小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱にかかわったため、弘文元年(六七二)官を辞し、登美山に閑居しました。天武十二年(六八四)四月五日より二十一日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得し、薬草湯屋を建て、薬師三尊せん塼ぶつ仏を祀って諸人の病を治されたのです。世人は富人を鼻高仙人と称し崇敬しました。
神亀五年(七二八)流星が宮中に落下し孝謙皇女が病に臥したとき、鼻高仙人が聖武天皇の夢枕に立たれ、「湯屋の薬師をお祀りすれば旬日以内に病を治す」というお告げがあり、行基が代参祈願したところ平癒。天平六年(七三四)聖武天皇は行基に大堂の建立を命ぜられ、天平八年(七三六)来寺されたインドの婆羅門僧ぼ菩だい提せん僊な那は、登美山の地相がインドのりょう霊じゅせん鷲山に似ており、寺の名を霊山寺とするよう奏上、聖武天皇から「登美山鼻高霊山寺」の称号が贈られ、落慶しました。
北条時頼公や徳川家康公も厚く帰依され、寺領の寄進・知行の下付があり、特に江戸時代には幕府の御朱印寺として栄えました。明治維新の廃物毀釈により規模は半減しましたが、今なお国宝の本堂をはじめ重文建物五棟、重文仏像什宝物三十余点を所蔵しております。
弘仁年間(八一〇~二三)に弘法大師が来寺され、登美山に龍神様がおられると感得。奥の院に大辯財天女尊を祀られました。昭和四年(一九二九)、先代住職の奥方に辯財天の霊験が宿り、数々のお告げによって多くの信者を導き、昭和の中興を果たしました。昭和十二年(一九三七)には鼻高山に三万坪の大霊園を開設しました。また先代住職の戦争体験の反省から昭和三十二年(一九五七)に造られた薔薇庭園は、平和への祈りと人生の輪廻をテーマとしており、二百種類二千株の色とりどりの薔薇を見て、心の安らぎを感じていただければ幸いです。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設あり。会食、会議八十人まで可。要予約。お食事処「仙人亭」あり。(四八-三〇七七)

●入山拝観料 
五百円、五十人以上の団体割引あり。薔薇開花時六百円。


●道順
徒歩
近鉄奈良線富雄駅から奈良交通バスで「霊山寺前」下車。富雄駅からタクシーの便あり、約7分。
自動車
阪奈道路のみつ三がらす碓ゲートから、県道・枚方大和郡山線に入り、南へ約5分。第二阪奈有料道路「中町ランプ」より県道を北へ約5分。乗用車200台、バス30台の無料駐車場あり。






第3番 法性山 般若寺 はんにゃじ
真言律宗 通称・花の寺、コスモス寺
〒630-8102
奈良市般若寺町221
電話 0742(22)6287
http://www.hannyaji.com/

●一年中花が美しい花の寺
飛鳥時代、舒明天皇の元年(六二九)に高句麗から渡来した慧灌法師が般若台を始めたのが、この寺の草創です。その後、聖武天皇が当寺に大般若経を奉納して、民心の安定と平城京の繁栄を願い、定額寺としました。平安時代には、観賢僧正がこの寺に住み、再興するとともに、学僧千人を集めて学問道場としました。それ以後、学問寺として名声は天下に知れわたりました。
しかし源平の争乱に巻き込まれ、東大寺や興福寺とともに、治承四年(一一八〇)十二月二十八日、平重衡の南都攻めによって伽藍はすべて灰燼に帰し、礎石のみが草むらに散在する悲運となりました。
鎌倉時代に入り、民衆の信仰が十三重石塔の造営に結集され、宋の石工、伊行末の手で建長五年(一二五三)頃完成。続いて良恵上人によって、金堂(本尊文殊菩薩)、講堂(本尊薬師如来)等が復興造営されました。さらに西大寺長老叡尊和上の導師で文殊像の開眼法要が行われた文永四年(一二六七)には諸堂が整い、壮観を極めました。
病人の救済施設、北山十八間戸も経営し、智恵の文殊、学問の仏だけでなく、心身の安らぎと病気平癒の薬師、即ち衆生済度、幸福増進をもたらす霊場として信仰を集めました。
その後、室町戦国期による衰微、江戸期の復興、明治の排仏と栄枯盛衰を経ながら、常に自利利他(己を高め他を助ける)の菩薩道精神を法灯にかかげ続けているのです。
別名花の寺といわれ、十二月~一月は水仙、四月は山吹、六月~七月は早咲きコスモス・あじさい、九月~十月はコスモスが満開となります。
十三重大石塔(重文)は、仏舎利(釈尊の遺骨)をまつる卒塔婆(梵語のスツーパ)で、寺の中心であり、規模の大きさ、荘重美、四方四仏と日本の代表的石塔です。四方仏は薬師(東)、阿弥陀(西)、釈迦(南)、弥勒(北)の顕教四仏です。

●拝観料
大人五百円、中高生二百円、小学生百円、小学生未満無料、三十人以上の団体は大人四百円。

●道順
徒歩 
JR奈良駅または近鉄奈良駅より青山住宅行バスで「般若寺」下車すぐ。
自動車 
国道369号線の般若寺前を西に入り、右折右側、駐車場あり。






第4番 興福寺 東金堂 こうふくじ とうこんどう
法相宗大本山
〒630-8213
奈良市登大路町48
電話 0742(22)7755

●興福寺の歩み
興福寺は、和銅三年(七一〇)の平城京遷都にともなって、当時右大臣であった藤原不比等が、飛鳥藤原京の前身寺院を都が一望できる現地に移建したことにはじまります。その後も、平安期にかけて皇族や藤原摂関家の庇護のもと、東金堂、五重塔、西金堂、東院諸堂、南円堂などの堂塔が建立され、壮麗な伽藍が整備されました。
神仏習合思想が進んだ保延元年(一一三五)には春日若宮社を創設し、春日社の祭祀権を掌握して大和一国の領有を確立しました。治承四年(一一八〇)には、平重衡の南都焼討ちにより伽藍は灰燼に帰しますが、鎌倉期に入ると康慶・運慶などの巧匠仏師たちが活躍し、当時の寺宝が数多く伝えられています。往時を凌ぐほどの復興造営は、奈良町発展にも大きな影響を与えました。
織豊の時代には寺社領の大削減が行われましたが、文禄四年(一五九五)の検地では、春日社興福寺の知行は二万一千石と定められ、以後徳川幕府もこれを踏襲し、幕末まで維持されました。
興福寺は創建より度々の被災と再建を繰り返しましたが、享保二年(一七一七)の大火で、講堂・僧房・中金堂・回廊・中門・南大門・西金堂・南円堂を焼失しました。その再興は困難を極め、堂宇すべてを復することなく明治維新を迎え、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈でさらに瓦解の様相を呈しましたが、時を経た現在、復興の気運にめぐまれ、二〇一八年の落慶に向けて中金堂復興事業を推進しています。
薬師霊場の本尊の薬師如来坐像(重文)は、応永二十二年(一四一五)に再建された国宝の東金堂に安置され、堂内には日光・月光菩薩像(重文)のほか、文殊菩薩、維摩居士、十二神将、四天王像(いずれも国宝)がお祀りされています。また、北隣の国宝館には、旧東金堂本尊の仏頭や阿修羅像が安置され、彫刻、絵画、工芸品、古文書などが一般に公開されています。

●拝観料
大学生以上三百円、中・高生二百円、小学生百円(興福寺国宝館=大人六百円、中・高生五百円、小学生二百円)いずれも三十名以上割引あり。

●道順
徒歩
地下鉄奈良駅から歩いて5分。JR奈良駅から東へ歩いて15分。
自動車
国道369号線、または阪奈道路等で奈良公園に入り、奈良県庁より南へすぐ。有料駐車場あり。





第5番 元興寺 がんごうじ
真言律宗 通称・極楽坊
〒630-8392
奈良市中院町11
電話 0742(23)1377

わが国最初の本格的伽藍寺院の伝統
旧奈良市街の中心部「さるさわ池」の南方は、「ならまち」と呼ばれる古い町並みがのこ遺る地域です。その一画に世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつに登録された元興寺があります。
元興寺は「佛法元興之場、聖教最初之地」と称されるように、わが国で最初の本格的伽藍寺院であった法興寺(飛鳥寺)を前身とします。法興寺は、崇峻天皇元年(五八八)、奈良県高市郡の飛鳥の地に、蘇我馬子や聖徳太子が中心となって、「佛法興隆」を願って開創された蘇我氏の氏寺でした。その後、大化改新等による蘇我氏の滅亡、律令制度の整備、積極的仏教政策が行われる中で、大寺に準ぜられ、藤原京の四大寺のひとつに列せられることとなりました。
和銅三年(七一〇)、平城京への遷都とともに、旧都の諸寺院が移されましたが、法興寺は、養老二年(七一八)に官大寺の元興寺として、この地に新築移転されました。すなわち、「ふるさと古郷のあすか飛鳥」と「なら平城のあ明す日か香」が生まれ、飛鳥寺は「本元興寺」「新元興寺」の二寺並立となり、法興寺の呼称は元興寺に統一されていきました。元興寺の新たな大伽藍は、春日山系の西南台地、平城京の東(外京)、さるさわ池をはさんで興福寺の南に営まれました。金堂(弥勒仏)、講堂(薬師仏)、東大塔院(五重塔)、西小塔院(百万塔)、僧坊等からなる結構な伽藍は、鎮護国家仏教を象徴するもので、三論・法相を学問する場でもありました。
平安時代半ばまで、南都七大寺の重要な位置を占めた元興寺も、政治経済の変化により寺運が衰退し、伽藍・堂塔の解体・分散を余儀なくされましたが、霊場寺院へと変化しながら命脈を保つことができました。その中心が僧坊に遺された「智光曼荼羅」です。奈良時代の学僧智光法師が感得した極楽浄土図への信仰でした。後に「浄土三曼荼羅」の随一とされるこの図は、単に浄土教のみならず、密教や諸宗の教学上も注目され、僧坊は大改築されて、極楽堂(曼荼羅堂)、禅室(春日影向堂)となりました。室町時代以降は、真言と戒律を重んじる霊場となり、庶民の信仰の聖地とされてきたことを、多くの文化財によって知ることができます。

●施設
総合収蔵庫(国宝五重小塔・重文阿弥陀如来・聖徳太子・弘法大師など・重民中世庶民信仰資料一括)小子坊にて休憩可。

●拝観料
大人四百円、中・高生三百円、小学生百円

●道順
徒歩
近鉄奈良駅下車、東南へ歩いて約12分。JR奈良駅下車、東へ歩いて約18分。
自動車
国道24号線、阪奈道路、名阪国道等で奈良公園方面へ入り、高畑杉ヶ町線より駐車場へ入る。駐車20台・大型バス2台無料。






第6番 日輪山 新薬師寺 しんやくしじ
華厳宗
〒630-8301
奈良市高畑町1352
電話 0742(22)3736
http://www.k5.dion.ne.jp/~shinyaku/

●霊験あらた新かなお薬師様の寺
新薬師寺は、聖武天皇が盧舎那大仏建立中に病を患われ、病平癒のため、天平十九年(七四七)に光明皇后によって建立されました。新薬師寺の「新」は新しい古いの「新」ではなく、霊験あらた(新)かなお薬師様をお祀りしたとして、名付けられました。
創建当時には、四町四方(一万二千坪)の境内に金堂、西塔、東塔等伽藍が並ぶ大寺院で、寺に住む僧一百人と記録にあります。
三十三年後の宝亀十一年(七八〇)に、西塔に落雷。瞬時に炎上、現本堂が焼け残ったのです。鎌倉時代には、解脱、明恵両上人が一時当寺に住んで再興に意をつくされ、東門、南門、地蔵堂、鐘楼の諸堂が建立されました。徳川時代には、家康筆の印璽をもって寺領百石が与えられ、全国から参詣・参籠する人々数知れずと伝えられています。往年の盛時には及ばないまでも、その名残りを保って現在に至っています。
薬師如来(平安初期・国宝)は一本彫成で、平安初期の代表作です。特に肩から胸に流れる衣紋は素晴らしく、大きく見開いた切れ長の目、堂々たる体躯、まさに密教精神の具現といえます。古来より眼病、耳病の仏として霊験あらた新かです。この仏の前に立つとき、誰もがいいしれぬ威圧と荘厳を感じることでしょう。
十二神将(天平時代・国宝)は、薬師如来の家来であり、剣、弓、矢などそれぞれの武器を持って威嚇する姿は、畏敬にあたいします。土の素材を生かして顔面の筋肉の起伏がデリケートに表現されています。造立された当時は群青、緑青、朱、金箔などで彩られた実に華麗なものであったと思われます。平成十六年には、コンピュータグラフィックスで当時の色が再現され、よりいっそう身近になった感があります。十二神将は、それぞれ干支の仏であり、ご自分の干支の神将にお参りされる方も、大勢おられます。

●拝観料
大人六百円、中・高生三百五十円、小学生百五十円。三十名以上の団体は割引あり。

●道順
徒歩
近鉄奈良駅、JR奈良駅より市内循環バスにて「破石町」下車、東へ500m上り、南へ入る。約10分。駅よりタクシー約7分。
自動車
奈良公園を目指して奈良市内に入り、循環バスの破石町停留所から東へ、または奈良教育大学前を右折、標識に従って左折。門前に無料駐車場あり。






第7番 霊禅山 東塔院 久米寺 くめでら
真言宗御室派
〒634-0063
奈良県橿原市久米町502
電話 0744(27)2470

●聖徳太子の弟君の眼病を平癒
久米寺の広い境内には、仁王門、本堂、不動堂、多宝塔(重文)、観音堂、地蔵堂、御影堂、鐘楼堂、客殿などが建ち並び、雪柳、桜、はな花す蘇おう芳、つつじ、あじさいなどの花があります。
本堂には、ひときわ大きい本尊の木造薬師如来坐像、日光・月光両菩薩立像、十二神将像、あの久米仙人が自ら彫った自分の像に自らの頭髪と生歯を植えたと伝えられる肉付きの坐像などが安置されています。本尊の一丈六尺の胎内には、一寸八分の金銅薬師如来立像が収められています。
久米寺は、もともと久米部氏の氏寺でしたが、聖徳太子の弟君が七歳のとき、眼病を患われ、太子のすすめで、諸病ことごとく治す薬師如来に願をかけたところ、眼病が平癒。そこで、自らく来め目皇子と称し、この地に金堂、講堂、鐘楼、経蔵、五重塔、大門などを造営されました。
その後、養老二年(七一八)インドの摩伽陀国の帝王・善無畏三蔵が、王位を捨てて渡来し、当寺に寄留して、日本初の多宝大塔を建立。大日経、三粒の仏舎利などを搭柱に納めました。善無畏三蔵の像は御影堂に安置されています。
大同二年(八〇七)十一月、唐より帰国した弘法大師空海が、宝塔内で経王を講讃し、初めて真言密教を宣布された、真言宗発祥の地です。
久米寺といえば、久米仙人の話は欠かせません。仙人は金剛山麓の葛城の里に生まれ、吉野山の龍門ヶ嶽で修行し、神通飛行の術を修得。長寿を保ち、久米寺に百数十年間寄住したとされます。聖武天皇が東大寺大仏殿を建立される際には、仙術をもって、建設資材を
数日のうちに全国各地から東大寺境内に集めました。天皇はお喜びになり、免田三十町歩を仙人に賜ったと伝えられています。
仙人はまた、衆生の中風としも下の病を除くため薬師に誓願をたて、自ら孟宗竹の箸を作りました。その竹箸を使うと中風や下の病にならず長寿が得られると言い伝えられています。あじさいの花一枝をトイレに吊るすと中風封じになるとか、カボチャを冬至に炊いて食べると中風にかからないといわれます。あじさいの季節には鐘楼堂横のお休み処でカボチャの酢の物をいただけます。

●拝観料
四百円

●道順
徒歩
近鉄各線より橿原神宮前下車、北西へ約200m、数分。
自動車
国道24号線、南阪奈道路(有料)、165号線高田バイパス、169号線で橿原神宮を目標にする。バス駐車場あり。






第8番 宀一山 室生寺 べんいちざん むろうじ
真言宗室生寺派大本山 通称・女人高野
〒633-0421
奈良県宇陀市室生区室生78
電話 0745(93)2003

●室生寺の創建と歴史
寺伝によると、室生寺は天武天皇の御願により白鳳九年(六八〇)に役の小角によって創建され、のち弘法大師により真言宗の三大道場のひとつとして修営されたといいます。しかし、確かな文献によれば、天平時代の後半の宝亀年間(七七〇~八〇)、皇太子の山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、この霊山で浄行僧五人が延寿法を祈願したことが草創のきっかけでした。
その後、興福寺の大僧都けんけい賢璟が朝廷の命により、国家のために室生山寺を創建しました。
以降室生山一帯は、奈良仏教界の山林修行の霊地として独特の仏教圏を形成してきました。

平安時代の初めには、興福寺の僧で賢璟の弟子修円が入山し、今に残る五重塔をはじめ伽藍の造営を完成させました。修円は、当時「室生禅師」と呼ばれ、弘法大師空海や伝教大師最澄と並んで、仏教界の指導的役割を果たした学僧でした。空海から最澄にあてた有名な書簡に「風信帖」(国宝)があります。その中に「室山」とあるのが修円のことで、空海が最澄とともに、三人で仏法について語り合おうと指名したのです。以降、室生寺は興福寺の所管のもとに、真言・天台密教の道場として、日本の仏教に大きな役割を果たしました。
平安時代以後、山中の龍穴の龍祥の信仰と結びついて、雨乞いの祈願が盛んに行われ、遠く平安の都から祈願の勅使がしばしば派遣されました。雨と龍を結びつける信仰は、農耕社会における雨の重要性を示していますが、急峻な山と清流に恵まれた室生山は、こうした信仰を生むにふさわしい格好の場所でした。
また室生寺は、女性にも開かれた真言密教の寺院として信仰され、鎌倉時代以降は、特に「女人高野」と別称されて広く知られるようになりました。江戸時代中期になり、五代将軍綱吉の護持僧隆光僧正の進言により、真言宗寺院として興福寺の支配から離れました。現在は真言宗室生寺派大本山として、その法灯を護持しています。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩所慶雲殿一人二百円、二百人収容。

●拝観料
個人五百円、三十人以上の団体四百円。

●道順
徒歩
近鉄室生口大野駅下車、バスで「室生寺」まで約20分。桜、しゃくなげ、秋紅葉の時期バス臨時増発あり。
自動車
国道165号線で室生区に入り、室生路橋から室生川に沿って上流へ行く。室生寺直営駐車場あり バス30台、乗用車200台(駐車場3ヵ所あり)。






第9番
小松山 金剛寺 こんごうじ
高野山真言宗 通称・ぼたん寺、菊薬師
〒637-0036
奈良県五條市野原西3-2-14
電話 0747(23)2185
http://www.e-kongouji.com/


●花のみ寺
金剛寺は平安末期の文化人、小松内大臣、平重盛公が、吉野川段丘に創建された古寺と伝えられています。
江戸初期から野原城主、畠山義春公の菩提寺として復興され、天満宮、御霊宮を祀る宮寺でもありました。江戸時代から明治、大正にかけては、唐招提寺の長老が当山より出向いて、隠居にやってくる珍しい歴史と信仰をもつ古寺です。
山門には宝暦十二年(一七六二)に近畿一円十万人の寄進により造られた鐘があり、平和の鐘、除夜の鐘として響きわたります。
元禄四年(一六九一)に再建された庫裡は茅葺の屋根で、夏は涼しく、趣きのある建物です。隠居の間、弟子育成の場でもありました。ここから元禄の枯山水の庭を眺めると風情があり、心落ち着くひとときを過ごすことができます。
明治時代の長老が再建された観音堂の屋根のし鴟び尾には、「唐招提寺金堂之模造」と銘記されています。
春には牡丹園を開園します。北に霊峰の金剛山を仰ぎ、眼下には吉野川の清流を眺め、二千平方メートルの牡丹園には百種類、千株の牡丹を中心に、白藤、おだまき、れんげつつじ、西洋石楠花、花水木、えにしだ、エジプトアヤメ、平戸つつじ、大山蓮華等が美しく咲きつづけます。
秋、薬師如来に小菊を献上し、無病息災、健康長寿を願って、十一月三日に菊薬師会式が厳修されます。十月二十五日から十一月十日までの小菊まつりの期間は、本堂や境内が小菊で荘厳されます。また八日までは善の綱でお薬師さまと結ばれます。
この小菊まつりはお寺に伝わる中国の故事で、七百歳の長寿をいただいた「菊慈童」に由来する行事です。当山は牡丹の金剛寺、菊薬師といわれるように、花のみ寺であり、信仰の道場、祈祷の寺です。

●休憩施設
休憩、庫裡二百名、牡丹園休憩所百五十名、費用志納、予約のこと。

●拝観料
三百円、牡丹園開園期三百五十円。

●道順
徒歩
近鉄南大阪線吉野口駅乗換え、または南海高野線橋本駅乗換えでJR和歌山線五条駅下車約2㎞。駅から徒歩で約25分。タクシーあり。
自動車
西名阪国道・法隆寺ICより南へ約40㎞、または柏原ICより南へ約26㎞、国道24号線より五條市内本陣交差点を南へ168号線へ、大川橋を渡りすぐ左折して約300m。駐車場あり(バス5台、普通車40台可。春シーズンのみ有料)






第10番
高野山 龍泉院 りゅうせんいん
高野山真言宗
〒648-0211
和歌山県伊都郡高野町高野山647
電話 0736(56)2439

●弘法大師雨請いの霊場
高野山は海抜約千メートルの山上に広がる東西六キロ・南北三キロの盆地で、内八葉外八葉の峰々に囲まれています。ちょうど蓮台の形のようなこの地は、いにしえ古より紫雲棚引く霊山として信仰されてきました。若き日の弘法大師空海も、山嶽修行者の仲間に入り山野を跋渉し修行に明け暮れていた頃に、訪れたこともある高山深嶺の地であり、中国より密教を持ち帰った空海が、弘仁七年(八一六年)嵯峨天皇よりこの地を賜り、真言密教の一大修行道場である伽藍諸堂の建立に着手したのが、高野山金剛峯寺のはじまりです。
高野山は、開創以来厳しい修行道場のため女人禁制が敷かれ、明治五年(一八七二)に解除されるまでは、いかなる女性といえども女人堂より内に入ることは許されませんでした。現在は不動口の女人堂だけが残り、かつての厳しい女人禁制の名残を留めています。高野山上には約百二十の寺院があり、僧侶だけでも約千人が生活しています。世界に類をみない山上宗教都市で、平成十六年には世界遺産に登録され、国内はもとより海外からも参拝者や観光客が多く訪れています。
龍泉院は承平の頃(九三一年頃)真慶律師によって開創され、弘法大師がかつて日照りが続いた際に善女龍王を勧請し祈雨の修法を行われた霊池が傍らにあることから、院号が付けられました。また弘法大師の高弟の真雅僧正が、当院において阿字観を修せられた霊験あらたかな古刹であり、鎌倉との由緒深く、毛利元就、佐々木高綱、楠正成等の帰依厚く、織田家、源家等の檀縁が深い。
本尊の薬師如来像(重文)は藤原時代末期の作。寺宝の弘法大師御作の真言八祖・りゅう龍みょう猛菩薩像は、毛利元就が当院に寄贈したもので弘仁仏として有名です。当院は高野山真言宗総本山金剛峯寺の北側に位置し、金堂、根本大塔等の諸堂がある檀上伽藍や、女人堂も近い。山門を入った正面に本堂があり、左側に護摩堂、大師堂と並び、右側に庫裡、玄関があります。

●宿泊・休憩施設
百五十名収容の宿坊あり。休憩も可、費用は寺へ問い合わせること。

●拝観料
無料

●道順
徒歩
南海高野線・極楽橋(終点)でケーブルに乗換え、高野山駅下車、南海バスで「警察前」(四つ目)下車すぐ(難波より約二時間)。JR和歌山線利用の場合は、橋本駅にて南海高野線に乗換える。高野山駅よりタクシーの便あり。
自動車
国道24号線高野口町より高野山へ。約40分。門前右側に無料駐車場あり。





第11番
小田原坊 高室院 たかむろいん
高野山真言宗 通称・小田原坊
〒648-0211
和歌山県伊都郡高野町高野山599
電話 0736(56)2005

●小田原城主北条氏直公が潜居
今から約千二百年前、真言宗の宗祖弘法大師は、時の帝、嵯峨天皇の勅許を得られ、真言密教の根本道場として高野山を賜られました。それから約三百数十年後、村上天皇のご血統を引かれる房海僧正によって当院が創建され、当初は、智恵門院と呼ばれていましたが、後に高室院と改められ、今日に至っています。
法燈は師資連綿として受け継がれ、第九世の大聖僧正は大和の国、天河弁財天の化現と伝えられるなど、多くの名僧を輩出しています。また、学問寺として学侶の名室寺院の一つに数えられ、多くの学匠を生んでいます。
天平年間(一五七三~九一)、小田原城主北条氏直公が当院に潜居してから、北条家の菩提所として「小田原坊」と呼ばれるようになり、現在でも、関東の寺院、ご信者との御縁は深いのです。また、伊勢の藤堂家、土佐の山内家とも壇契を結んだ時期があります。
当院の本堂は明治二十一年(一八八八)の大火に類焼し、昭和五十九年(一九八四)、弘法大師御入定千百五十年御遠忌の年に現在の本堂が再建されました。
本尊の薬師如来は、紀伊續風土記によると行基菩薩の御真作と伝えられ、重要文化財のため現在は高野山霊宝館に収められています。現在本堂に御安置の薬師如来は、京仏師江里氏の作です。
明治になって、大乗院・発光院・蓮上院を合併し、寺宝としては、弘法大師御筆大威徳明王影・高野結界啓白文・十二天屏風・同御作帆揚不動尊(重文)を蔵します。
高野山は海抜約九百メートル、大小、十六の峯々に囲まれた山上の盆地です。峯々は外八葉・内八葉と呼ばれ、あたかも蓮の花が開いたようで、まさに仏国土・密厳浄土と呼ぶにふさわしい地形といえます。当院は、高野山のほぼ中央に位置し、東の奥之院、西の大伽藍寺等、どこへ参拝するのにも便利です。境内は広く、マイカーでの巡拝にも十分な駐車スペースがあります。

●宿泊・休憩施設
百五十名宿泊可、費用は寺へ問い合わせること。休憩可、予約のこと。

●拝観料
無料

●道順
徒歩
南海高野線・極楽橋(終点)でケーブルに乗換え、高野山駅下車、南海バスで「千手院橋」(五つ目)下車すぐ。JR和歌山線利用の場合は橋本駅にて南海高野線に乗換える。高野山駅よりタクシーの便あり。
自動車
国道24号線橋本より高野山へ。約40分。境内無料駐車可。





第12番
幡川山 薬師院 禅林寺 ぜんりんじ
高野山真言宗 通称・幡川のお薬師さん
〒642-0028
和歌山県海南市幡川424
電話 073(482)1894

●多くの人々を救ってきたお薬師さん
当寺は、俗に幡川のお薬師さんと呼ばれ、広く人々に親しまれています。
今から千二百五十年以上前の天平時代、唐(現在の中国)にあった青龍寺の僧「い為こう光上人」が、聖武天皇よりこの地をいただき、同天皇の勅願所として建立されたのが始まりです。
中世の頃には「はた幡がわ川でら寺」とも呼ばれ、谷あいに七堂伽藍をはじめ、僧坊十二院・御社三社・承仕坊三院が立ち並ぶ精舎でした。しかしながら建武以前に金堂をはじめ寺庫までも火災にあい焼失し、さらに再興された後も、天正十三年(一五八五)に豊臣秀吉の南征による兵火のため再びことごとく焼失し、広大な寺領もすべて没収されました。諸堂の名残は地名として今なお残っています。
その後、当寺は塔頭寺院の一つであった中之坊の秀慶法印により再興されました。秀慶法印は、兵火により一字も残さず堂宇が焼失したのを憂いて、慶長二年(一五九七)に日向国(今の宮崎県)の仏師士賢に命じて木造の薬師如来像を造立し、京の仏師高慶に命じて、ご本尊の身体の部分を補作させて安置しました。
現在の本堂は天保三年(一八三一)、鐘楼堂は宝暦四年(一七五四)に再建されたものです。
ご本尊の薬師如来(三十三年に一度開帳される秘仏。和歌山県文化財指定)は、開山の為光上人が青龍寺より招来した七仏の内の一体と伝えられています。天平時代の仏様で、西国薬師霊場会唯一のそ塑ぞう像技法(土を用いて造る技法)で造られた如来様です。昔から眼病、その他の病にご利益があり、お薬師様の「わが名号を一たび耳に聞くとき願いとどけん」とのご請願通り、今日に至るまで多くの人々が救われています。
本堂の東側には、たくさんの身代わりおじいさん・おばあさんに囲まれた「ぼけよけ地蔵」様がお祀りされています。高齢化の進む中で悩まれる方々の心に安らぎをと建立されたお地蔵様です。また、境内の裏山には、約二百年以上前より新四国八十八ヶ所がお祀りされています。お四国にお参りできない方や願事成就のために多くの人々がお参りしています。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩五十名まで可、前もって寺へ連絡のこと。費用志納。

●拝観料
無料

●道順
徒歩
JR紀勢線海南駅下車、タクシー約5分。
自動車
国道42号線で海南市に入り、東へ数分。または、阪和自動車道の海南東IC
でおり直進、信号を左折50m、高速下をくぐり左折、0.2㎞行くと標識あり。





第13番 龍池山 弘川寺 ひろかわでら
真言宗醍醐派 通称・西行の寺
〒585-0022
大阪府南河内郡か河なん南町弘川43
電話 0721(93)2814

●西行ゆかりの古寺
葛城山の西麓にあり、天智天皇の四年(六六五)にえんの役ぎょう行じゃ者によって開創されました。天平九年(七三七)には行基が修行し、宝亀年間(七七〇年代)光意が修学しました。弘仁三年(八一二)には弘法大師空海が中興され、真言密教の霊場となりました。文治四年(一一八八)、当時の座主空寂は後鳥羽天皇がご病気の際、宮中に召され、病気平癒の祈祷を修して、平癒されました。
平安末期の歌僧西行は、文治五年(一一八九)秋ここに住み、「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の願い通り、文治六年(一一九〇)旧暦二月十六日当寺で入寂されました。享年七十三歳。
南北朝では、南朝の忠臣弘川城主隅屋与市正高が奮戦した旧蹟です。室町時代には、河内国の守護畠山氏の畠山政長と畠山義就による家督相続をめぐる争いで、政長軍は一時弘川に陣を構えました。義就軍がこれを攻め、兵火によって寛正四年(一四六三)焦土と化しました。本尊薬師如来像をはじめ、弘法大師像、空寂上人像は兵火をまぬがれ、今に奉安しています。
江戸中期の歌僧似雲は、享保十七年(一七三二)旧暦二月十六日西行の古墳を発見しました。その後西行堂を建立し、西行墳周辺に供華の桜を植え、「花の庵」を建てて住み、八十一歳の生涯を西行の顕彰に尽くしました。
西行の八百年遠忌(平成元年=一九九〇)を記念して、永くその遺徳を顕彰し、文化の向上を図るため、西行記念館を建設しました。館内には、西行に関する当寺伝来の寺宝をはじめ、西行ならびに似雲についての貴重な宝物を収蔵しており、春季・秋季に開館しています。
西行墳の奥、東方約三・五ヘクタールの桜山には、似雲が植えた山桜および西行八百年遠忌に供華された桜約千五百本が植樹され、春は壮観です。本坊庭園内には、樹齢約三百五十年の天然記念物「かいどう海棠」があり、四月中旬に見頃を迎えます。

●休憩施設
休憩百人まで可、必ず前もって寺へ連絡のこと。費用志納。

●拝観料
本坊庭園一人三百円。西行記念館・本坊庭園拝観共で一人五百円(開館=春四月一日~五月十日、秋十月十日~十一月二十日)

●道順
徒歩
大阪阿倍野橋から近鉄長野線富田林駅下車。金剛バス河内行で終点「河内」下車、約200m。またはさくら坂行きで「河内小学校前」下車約800m。
自動車
大阪外環状線の新家交差点より国道309号線に入り、佐備神山交差点を左折、上河内方面へ河内、弘川寺弘川寺に着く。





第14番
青龍山 野中寺 やちゅうじ
高野山真言宗 通称・中の太子
〒583-0871
大阪府羽曳野市野々上5-9-24
電話 072(953)2248

●聖徳太子の寺
野中寺は、飛鳥時代に創建され、難波から飛鳥に至る竹内街道に面していました。寺伝によると、聖徳太子の命令で蘇我馬子が造営したとされています。古くから「中の太子」と呼ばれ、太子町叡福寺の「上の太子」、八尾市大聖勝軍寺の「下の太子」とともに、「河内三太子」の一つに数えられています。
創建当初の伽藍は、南北朝時代の争乱で兵火にかかって全焼しましたが、礎石は残り、中門跡、金堂跡、搭跡、講堂跡、回廊跡は国の史跡に指定され保存されています。近年の発掘調査により、七世紀中頃には、伽藍が完成していたことが分かっています。
江戸時代初期の寛文年間、政賢覚英師の発願により、真言律のせき碩とく徳である慈忍慧猛和上を中興開山に迎えて、戒律道場(僧坊)として再建されました。延享三年(一七四六)には、一派律宗如法僧坊輪番所として幕府の認可を受けています。
当時、山城国の槇尾山平等心王院、和泉国の大鳥山神鳳寺、河内国の青龍山野中寺は「律の三僧坊」と呼ばれ、戒律を学び修行する僧侶が多数集まっていました。今も、修行僧の寄宿舎である「比丘寮」「沙弥寮」や勧学院の額を掲げる「方丈」など、当時の学苑の建物がそのまま保存されています。
野中寺墓地の一角には、お染・久松の墓があります。これは戒律道場の有力な後援者の一人であった天王寺屋権右衛門が、心中した天王寺屋の娘お染と手代の久松の冥福を祈って、十七回忌にあたる享保七年(一七二二)に建立したものです。このとき、供養のためにお染ゆかりの山茶花が寄進されました。庭園内にある樹齢約三百年の山茶花がそれであると伝えられています。
本尊薬師如来坐像は秘仏で公開されていませんが、毎月十八日には、白鳳期の金銅弥勒菩薩像(重文)や平安末期と推定される木造地蔵菩薩立像(重文)、庭園内の山茶花(大阪府天然記念物)が拝観できます。

●拝観料
境内無料。毎月十八日の入園拝観は三百円。

●道順
徒歩
近鉄南大阪線藤井寺駅下車、羽曳ヶ丘行バスで「の野の々うえ上」下車すぐ。
自動車
大阪外環状線、羽曳野市野中より堺市方面(中央環状線)へ進み右側。駐車場あり。





第15番 一乗山 家原寺 えばらじ
高野山真言宗別格本山 通称・家原の文殊さん、智慧文殊
〒593-8304
大阪府堺市西区家原寺町1丁8番20号
電話 072(271)1505

●行基菩薩生誕のご実家
お寺の歴史は古く、今から千三百年昔、奈良時代に生誕されて、後に人々から菩薩と慕われた人がいました。名僧「ぎょう行き基(六六八~七四九)」です。行基様は生誕のご実家を、七〇四年、三十七歳のときにお寺として開山されました。山号の一乗山とは、菩薩修行記から引き、菩薩として修行を行なう所という意味です。寺号のえ家ばら原じ寺は、家とは実家、原とは母の腹をさすと伝えられています。つまり、ご両親の菩提を弔うことと、恩に報いることだというのです。
本尊は文殊菩薩で、日本で文殊菩薩を祀られた最初といわれます。菩提僊那(七〇四~七六〇年、インドから来た東大寺大仏開眼導師)ゆかりの文殊菩薩として信仰を集め、その霊験は古来より国内随一の名声を誇ります。この文殊様は「智慧文殊」と呼ばれ、各種試験を志望する人々や学生たちの合格祈願で、お参りの人々が後を絶ちません。祈願ハンカチという楽しい祈願の方法も人気があり、本堂の文殊殿は一見の価値があります。
お薬師さんを祀る薬師堂は、文殊殿の東側にあります。広い境内の中でもひときわ大きな「やまもも」の木が目印です。薬師堂は朱塗りの小さなお堂です。中は一般には公開されていません。堂内には厨子を収めた内庫式の壇が祀られています。
厨子の中には、薬師如来坐像と両側に日光菩薩、月光菩薩、それを囲むように十二神将が安置されています。何度か修復の跡があり、江戸中期の修復といわれます。この薬師さんも長い間人々に信仰されてきたに違いありません。というのも、もう一つの薬師さんがあるからです。家原寺から南へ徒歩三十分程の所に、行基様のご母堂様の実家という奥の院「けい華りん林じ寺」があります。本尊の薬師如来は、地元の人々から「こ子やす安薬師」「こやすさん」と親しまれ、安産・健康の祈願をしています。そして、家原寺の薬師さんを「すこやかさん」と呼びならわしています。
いつの世も親は子を思い祈り続けてきた証。今に歴史が息づいているのです。参拝の方々には、そんなことを感じていただけたら幸いです。

●休憩施設
休憩所五十人程可、要予約。費用志納。

●拝観料
入山は志納大人二百円。本堂に上る場合は一人三百円。駐車場は志納。

●道順
徒歩
JR阪和線津久野駅下車、南東へ徒歩15分。泉北高速鉄道泉ヶ丘駅より津久野行南海バスで約20分、「文殊前」下車すぐ。南海高野線堺東駅より堀上緑町1丁行バスで約25分、「向ヶ丘住宅前」下車、徒歩5分。
自動車
阪和道の堺・泉北ICをおりて右折15分。または阪神高速堺線より26号線に入り側道を左折、5分。駐車場は、南大門前に大型バス2台・普通車15台、境内東側に大型バス5台、普通車50台。





第16番 荒陵山 四天王寺 してんのうじ
和宗総本山 通称・天王寺さん
〒543-0051
大阪市天王寺区四天王寺1丁目11-18
電話 06(6771)0066㈹

●日本仏法最初の大寺
大阪市内で最大の寺域をもつ四天王寺は、また、宗派を越えて信仰を集めています。春秋の彼岸やお盆、毎月二十一日のお大師まいり、二十二日のお太子まいりには、縁日の露店も出て、多くの参詣者で賑わいます。
西門からお参りすると、「大日本仏法最初四天王寺」の石碑が目に入ります。その次にあるのが、大きな石の鳥居(発心門)で、そこに掲げてある額は、聖徳太子または小野道風の筆といわれ、「釈迦如来転法輪の所、極楽土の東門の中心に当る」と、浮彫風に鋳出されています。この門は重文に指定されており、彼岸の中日には、門の真東から日が上り、真西に沈むのです。
薬師如来を本尊として祀っている六時堂は、亀の池の北側に、壮大にして重厚な姿で建っています。新西国霊場等にお参りの人々は、この六時堂に参拝し、納経所で押印揮毫を受けることになっています。
今から千四百有余年前の推古元年(五九三)十月、推古天皇の摂政皇太子であった聖徳太子は、日本仏法最初の大寺である四天王寺を創建され、外交・内政両面の拠点とされました。寺伝によれば、太子は金堂に仏法守護の四天王を安置して平和を祈り、六道利救の五重塔を建立して人々の救済をめざされました。
伽藍の建立にあたっては、四箇院制度により、敬田院、悲田院、施薬院、療病院を構えられ、物心両面より人々の救済と平和国家の建設に邁進されました。以後、四天王寺では、太子の遺業を継ぎ、教学伝道などの実践活動を通じて仏教の興隆と学校法人四天王寺学園・社会福祉法人四天王寺福祉事業団の各事業の充実につくして、現在に至っています。

●休憩施設
無料休憩所あり、百人。

●拝観料
伽藍(大人三百円・高大生二百円・小中生無料)、本坊庭園(大人三百円・高大生二百円・小中生百円)、三十名以上団体割引あり。

●道順
徒歩
JR、地下鉄の天王寺駅、近鉄阿倍野橋駅から北へ700m、市バス「天王寺西門前」下車すぐ。地下鉄谷町線四天王寺前(夕陽ヶ丘)下車、南へ300m。
自動車
国道25号線の天王寺西門前交差点を東進、四天王寺南門前に駐車場あり。阪神高速大阪環状線の夕陽ヶ丘ランプから天王寺西門前へ。観光バス用の駐車場はございません。





第17番 護国山 国分寺 こくぶんじ
真言宗国分寺派大本山 通称・長柄国分寺
〒531-0064
大阪市北区国分寺1丁目6-18
電話 06(6351)5637

●十四天皇の勅願道場
〝日本一長い〟といわれる天神橋筋商店街。その北寄り、天六(天神橋筋六丁目)交差点から東へ約三百メートル、北へ折れると左手に国分寺があります。
寺伝によりますと、斎明天皇の時代(六五九)に遡ります。天皇は先帝・孝徳天皇の菩提を弔うため先に入唐した僧、道昭に命じて長柄豊碕宮の旧址に一宇を建立してなが長ら柄でら寺と称しました。聖武天皇が天平十三年(七四一)に一国一寺の国分寺創設の詔勅を出されると、長柄寺を改称して摂津の国における国分寺、すなわち金光明四天王護国之寺としました。その後「長柄国分寺」とか「護国山国分寺」と呼ばれるようになります。
それ以来約千三百余年、十四天皇の勅願道場として法灯を伝えてきました。その間数々の災禍を受け、とりわけ大阪夏の陣の元和元年(一六一五)には全焼、荒廃するも、約百年後の享保三年(一七一八)に再建落慶。明治初年まで四ヘクタールの広大な境内と寺領を有していましたが、廃仏毀釈でほとんどの領地を失い、本坊を残すのみとなりました。さらに昭和二十年(一九四五)六月には多くの寺宝とともに旧書院門を残して灰燼に帰するのです。
幸い全国各地の本山所属教師はじめ壇信徒のご外護で、昭和本堂、霊明殿、護摩堂、鐘楼堂等を再建し落慶し終えたことは、有縁・無縁の方々のお力添えによるものであり、仏恩の広大無辺を報謝しております。
国分寺は明治六年までは一宗一派に属しない勅願道場として独自の地位にあり、徳川中期には幕府の朱印をもって日本国中の巡回には関所道中御免の鑑札発行の特権を与えられ、全国各地に有縁の衆徒数千人を数え、在家信仰者の本山となりました。その後、真言宗教王護国寺所属となったのをはじめ明治末期には高野山に合併せられるなど、さまざまな変遷を経て戦後の宗教法人法公布により「真言宗国分寺派」を公称し、その大本山として現在に至っております。

●拝観料
無料(堂内は宮中真言院道場を摸す)

●道順
徒歩
地下鉄谷町線、堺筋線、または阪急電車の「天神橋筋六丁目」(天六)下車、2号出口より東へ100m北へ入る。
自動車
天六から都島方面へ約300m北へ入る。阪神高速守口線の場合は長柄ランプをおり、樋之口町交差点を直進してすぐ淀川天神社を左折、突き当たり。





第18番 大沢山 久安寺 きゅうあんじ
高野山真言宗
〒563-0011
大阪府池田市伏尾町697
電話 072(752)1857

●近衛天皇の勅願所として再興
久安寺は、神亀二年(七二五)に僧行基によって開かれたと伝えられます。天長年間(八二四~三四)には、弘法大師が真言密教の道場として中興、安養院と呼んでいました。久安元年(一一四五)には、賢実上人が近衛天皇の勅願所として再興、楼門、金堂、搭などの伽藍と、四十九の坊舎を建立し、久安寺と号しました。
豊臣秀吉はここで月見や茶会を楽しんだといいます。そのときの手植のかや榧の木や腰掛石が残されています。江戸中期には、歌人の平間長雅がこの寺に在住し、寺の興隆に力を尽くしました。現在は霊園事業を基に昭和の興隆事業を起こし、曼荼羅思想によって諸堂や庭園を整備しています。
お参りは、国の重文に指定されている楼門から始まります。楼門は久安元年に建立されたもので、近衛帝の勅願額を掲げています。昭和三十四年(一九五九)に解体調査をされ、室町初期に大修理されたことが分かりました。室町の彫刻である金剛仁王尊を安置しています。
楼門をくぐれば、苔むす石垣、楓の老木が古刹の雰囲気を漂わせ、参拝の方々を迎えます。楼門から北に三百五十メートルの参道が金堂跡まで続いています。一万坪を越える境内には、季節の花々が咲き乱れ、趣き深い庭園が広がります。
薬医門の奥には、小坂院が本坊として残っています。小坂院は、賢実上人が再興した四十九の坊舎の一つで、往時を偲ぶことができます。弘法大師を祀る御影堂を拝んだ後、西国三十三所観音が祀られている三十三所堂に着きます。
その奥には、弥勒山を背にして、高床式の阿弥陀堂が建っています。本尊の阿弥陀如来坐像(重文)はじめ、多くの仏さまを祀り、文化財を保存しています。平成三年(一九九一)には念願の薬師堂が完成し、薬師霊場本尊の薬師如来立像(市指定重文)を安置しました。庭園とともにこれらの文化財も時間をかけて拝観したいものです。

●宿泊・休憩施設
近くに「かやの木食堂」「不死王閣」あり。

●拝観料
三百円

●道順
バス
阪急宝塚線池田駅より阪急バス東能勢線(久安寺行)で約15分。タクシーの便あり、約5㎞。
自動車
阪神高速池田線木部第一出口を423号線へ、2.5㎞で久安寺駐車場、梅田から約20分。または池田市役所から国道423号線で亀岡方面へ北上、約5㎞で久安寺駐車場。無料駐車場完備。





第19番 昆崙山 昆陽寺 こんろんざん こやでら
高野山真言宗 通称・行基さん
〒664-0026
兵庫県伊丹市寺本2-169
電話 072(781)6015

●行基菩薩ゆかりのお寺
当寺は、第四十五代聖武天皇の勅願所として、行基菩薩によって天平五年(七三三)に建立されました。『古今著聞集』には、行基菩薩が有馬温泉に行く途中、発願し建立したとあります。
その頃の当地は『万葉集』にいな猪名の野笹原と詠まれているような荒地でした。神亀年間(七二四~二八)に朝廷に奏聞し、勅許を受け、東は伊丹坂、西は武庫川、南は笠ヶ池、北は後通墓の四方を限りとする方五十町の地を賜り、その中心の四町四面に七堂伽藍、僧房、堂宇を建立したのです。また、昆陽池をはじめ大小池十二ヵ所、堀川四ヵ所、樋三ヵ所、溝七ヵ所、堤二十ヵ所などを築き、灌漑をはかり、水田百五十町歩を開墾。これを昆陽の庄と名づけました。行基菩薩自ら刻んだという半丈六の本尊薬師如来、十一面観音、普賢、文殊菩薩像、四天王像などを安置し、国家安全、五穀豊穣などを祈願しました。
西国街道(国道一七一号線)に面した交通の要所にあたり、布施屋を設け、病人、孤独、貧しい人々を救済し、社会福祉事業の拠点となりました。以来、行基菩薩の徳を慕う者数多く来集し、次第に隆盛をきわめ、天平勝宝六年(七五四)二月二日の菩薩遷化後も、遺弟光信ら代々出世して院家を守護してきました。
その後、たびたび火災の難に遭い、ことに天正七年(一五八〇)織田信長が伊丹城主荒木村重を攻略したとき、兵火にかかり堂塔伽藍が灰燼に帰しました。しかし、行基菩薩の徳を讃仰する信徒、地利の恩恵に俗する行基氏子が物心両面の力を合わせ、昔の遺跡に堂宇を再建されました。
しかし、平成七年(一九九五)一月十七日午前五時四十六分、阪神淡路大震災により数百年の歴史を誇った堂宇も一瞬にして崩壊しました。傾きの小さい堂は起こし、倒れた堂宇は木材や柱を生かし、震災直後より復元・復興工事に着手。平成十年(一九九八)五月に一応の完成を見ました。
山門と観音堂は兵庫県、伊丹市の重要有形文化財に、開山堂内の二天(持国天、広目天)も文化財の指定を受けています。開創以降秘仏とされてきた本尊の薬師如来は、大震災後はお姿を現し、法要時には開帳しています。

●拝観料 
無料

●道順
徒歩
阪急伊丹線伊丹駅より、伊丹市バス、阪急バス、共に「こやのさと昆陽里」下車すぐ。
自動車
国道171号線(西国街道)に沿って建っているため、すぐに分かる。境内に駐車可(自家用車)、大型バス2台門前に駐車可。





第20番 松泰山 東光寺 とうこうじ
高野山真言宗 通称・門戸厄神、厄神さん
〒662-0828
兵庫県西宮市門戸西町2-26
電話 0798(51)0268
http://mondoyakujin.or.jp

●日本三躰厄神明王のひとつ
当寺は通称「門戸厄神・厄神さん」と親しまれ、駅名にもなっています。阪急電車今津線の門戸厄神駅から七百メートルの所にあり、正式には「別格本山 松泰山 東光寺」といいます。寺名の東光寺は、薬師如来がおられる浄土、東方浄瑠璃世界から光が発せられる寺という意味で名付けられました。古くから厄除開運の祈願寺として名高く、多くの人々に知られ信仰されています。
天長六年(八二九)嵯峨天皇が四十二歳の厄年のおり、愛染明王と不動明王が融合一体の厄神明王となって現れ、諸々の災厄を打ち払った夢を見られました。それを聞かれた弘法大師(空海)が自ら厄神明王を三体刻まれ、三年間の厄年を祈祷し無事に過ごされました。その後、一体を国家安泰の厄除けを願い紀州高野山麓の「天野明神」へ、一体を皇家安泰の厄除けにと山城男山の「石清水八幡宮」に、もう一体を民衆厄除けのため、ここ摂津門戸の「東光寺」に納められました。これが世にいう「日本三躰厄神明王」です。
古くは七堂伽藍をそなえ荘厳な構えを見せていましたが、織田信長の荒木村重攻めの兵火にかかり、堂宇が焼かれてしまいました。しかし、弘法大師自刻の厄神明王は一部の損傷もなく、再建されたお堂に祀られました。明治維新の廃仏毀釈により寺領地は縮小されましたが、厄除け守護の厄神明王の威徳は今なお受け継がれています。
現在、境内表門の下には四十二段の男厄坂、中楼門の下には三十三段の女厄坂と呼ばれる厄年にちなんだ階段があり、一段一段厄を落としながらお堂にお参りするようになっています。朱塗りの色鮮やかな中楼門をくぐると薬師堂、厄神堂、大黒堂、大師堂、不動堂などの諸堂が整然と建ち並び、伽藍の背景には山号が示すように山肌一面に松の木が生い茂り寺観を引き立てています。
年中行事の内、特に毎年一月十八・十九日の厄除大祭には、駅から寺までの参道両側に数百軒の露店が並び二日間で数十万人の参詣者で賑わいます。近年は近畿だけにとどまらず、全国各地からお参りがあり、外国居住の人も厄除けに参詣するなど篤信者の人々が日増しに増え続けています。

●入山料
無料

●道順
徒歩
阪急今津線門戸厄神駅下車、北西へ約700m。阪急西宮北口駅からタクシーの便あり、約5分。
自動車
国道43号線または国道2号線から国道171号線に入り、門戸陸橋を渡らず、西詰を左折、300m北上。駐車場あり(無料、普通車60台、バスも可要連絡)。





第21番 東光山 花山院菩提寺 かざんいんぼだいじ
真言宗
〒669-1505
兵庫県三田市尼寺352
電話 079(566)0125

●花山法皇、終焉の地
当山は白雉二年(六五一年)天竺より渡来したとされる法道仙人によって開かれたと伝えられています。ちなみに西国三十三カ所の二十五番清水寺と二十六番一乗寺も、法道仙人によって開かれています。法道仙人は役行者と並ぶ法力を持った修験僧であり、当山もその修行の聖地として開かれました。後に花山法皇(人皇第六十五代花山天皇)は、西国三十三カ所観音霊場巡礼をご再興の後、当山に錫を留められました。
眼のあたりには秀峰有馬富士を見、南には六甲連山、西には広く播州平野から播磨灘、そして小豆島までを一望におさめるゆうすい幽邃かんが閑雅の景色はいたく法皇の御感に召したのでしょう。この山こそ終生仏道修行に励む聖地として他に勝るものはなしと思い定められたのです。その御心は、御製に「名にしおう 我が世はここに尽くしてむ 仏の御国近きわたりに」(当山第二番の御詠歌)と詠まれたことが如実に物語っています。
そして寛弘五年(一〇〇八年)御年四十一歳でご崩御なされるまで、当地で仏道修行にご精進なされたのです。法皇亡き後、当山は花山法皇(花山院)の菩提を弔うお寺として、寺号を花山院菩提寺と称するようになりました。
法皇は後の人から西国三十三カ所観音霊場中興の祖として仰がれ、観音霊場を巡礼する人たちは、花山法皇への尊崇帰依の心を示すべく当山に参詣するのがその勤めとなり、薬師霊場であるこのお山が、西国三十三カ所観音霊場の番号外の札所となったのです。
なお麓には女官たちが花山法皇を慕い来たるも、その時代の出家僧の戒律では男女共に住むこと許されず、自らも尼僧となって生涯を過ごした女官たちの墓「十二尼妃の墓」があり、村の名前もにん尼じ寺村と称して哀史を今に伝えています。

●宿泊・休憩施設
団体用宿泊施設あり。定員六十人。要予約。

●拝観料
無料

●道順
徒歩
JR福知山線または神戸電鉄の三田駅下車、神姫バス4番乗場から「おち乙ばら原バレイ」行で約20分、「花山院」バス停下車、山道徒歩約20分。タクシー利用の場合はJR新三田駅からが便利、約15分で山上まで。
自動車
中国自動車道路「神戸三田IC」を出てウッディタウン方向へ、ICから約25分。中型以下は山上まで登れる。参道維持協力費=中型以下1000円、普通車以下500円。大型バスは麓の駐車場(2000円)。団体で麓からタクシー利用の場合は有馬交通TEL079-564-2481。





第22番 刀田山 鶴林寺 かくりんじ
天台宗 通称・刀田の太子さん
〒675-0031
兵庫県加古川市加古川町北在家424
電話 079(454)7053

●播磨の法隆寺
朝鮮から仏教が伝えられた日本では、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立していました。この頃、高句麗より来朝した高僧・恵便法師は、物部守屋の迫害を逃れて播磨に身を隠していました。これを聞いた聖徳太子は、はるばるやって来て教えを受け、その後十六歳のとき秦河勝に命じて精舎「四天王寺聖霊院」を建立されました。これが当寺のはじまりです。
その後、養老二年(七一八)武蔵の国の大目身人部春則が太子の遺徳を顕彰するため、寺域を拡張して堂塔伽藍を建立し、寺名を「刀田山四天王寺」と改めました。
慈覚大師円仁(七九四~八六四)は入唐のおり、当寺に立ち寄り、薬師如来を刻し、堂塔伽藍を修理して、国家の安泰を祈願したので、以後、天台宗に属しました。十二世紀初め、鳥羽天皇より鶴林寺の勅額を賜り「刀田山鶴林寺」と改めました。
室町時代には、寺領二万五千石、寺坊三百坊、楽人数十名を擁し全盛時代を迎えますが、織田信長、豊臣秀吉、江戸幕府などの圧政、また明治の廃仏棄釈などにより衰亡の一途をたどりました。
しかし、今なお広大な境内には、国宝の太子堂(一一一二年)・本堂(一三九七年)、重要文化財の常行堂、行者堂、鐘楼、護摩堂など十六棟が建ち並んでいます。また、白鳳時代の有名な聖観音像をはじめ、彫刻、絵画、工芸品、文書などの文化財二百余点を所蔵、まさに仏教美術の宝庫です。
通称「刀田の太子さん」「播磨の法隆寺」とも呼ばれ、春の太子会式には植木市、金物市などの露店が立ち並び多くの参詣者でにぎわいます。四季折々に咲く菩提樹、沙羅、さつき、センダン、椿などの花々も参詣者の心をなごませてくれることでしょう。

●休憩施設
百人~三百人程度可能(要予約、志納)

●拝観料
五百円(入山と宝物館)、小中学生二百円、団体割引あり。太子堂・鐘楼の特別拝観料は二百円、団体は要予約。

●道順
徒歩
JR神戸線加古川駅下車、ゾーンバス(8分)「鶴林寺」下車すぐ。または、山陽電鉄尾上の松駅下車、徒歩15分。
自動車
加古川バイパス加古川より南へ10分。山陽自動車道三木小野ICより30分。姫路バイパス高砂西から15分。無料駐車場2カ所あり。





第23番 斑鳩寺 いかるがでら
天台宗 通称・いかるがのお太子さん
〒671-1561
兵庫県揖保郡太子町鵤709
電話 079(276)0022

●聖徳太子ゆかりのお寺
斑鳩寺は今から千四百年前に、聖徳太子がご開創になった霊刹です。日本書紀によれば、推古天皇十四年(六〇六)秋七月、太子は推古天皇のご前にて勝鬘経を三日にわたり講ぜられました。その後、法華経八巻をも講ぜられ、推古天皇より賜われたのが、播磨国揖保郡の水田百町です。太子は斑鳩荘と名づけられ、法隆寺に施入されました。
以来、大和法隆寺の支院として七堂伽藍や数十の搭中が建てられ、播磨の荘園として法隆寺を経済的に支えていましたが、天文十年(一五四一)四月七日、火災に遭い、そのすべてを焼失しました。その後、中興の祖・昌仙法師をはじめとする天台宗の僧侶により再建されたことから天台宗となり、現在に至っています。
伽藍として一番古いのは、三重塔です。赤松政秀の寄進により、永禄八年(一五六五)建立された国指定重要文化財で、太子伝来の仏舎利が輪中に収められています。正面の講堂には、止利仏師一刀三礼の作と伝えられる丈六の坐像三躯(いずれも国指定重要文化財、向かって右に薬師如来、正面に釈迦如来、左に如意輪観音を安置)をお祀りしています。いずれも秘仏ですが、近年は二月二十二日の太子のご命日にご開扉されます。
左手にある聖徳殿には、聖徳太子ご自作と伝えられる十六歳孝養像が安置されています。太子十六歳のとき、父君用明天皇がご病気になられ、七日七晩飲食を絶ち、柄香炉を捧げて病気の平癒を願われました。この時のご尊像で、髪を植えてあることから、「うえ植かみ髪の太子」と呼ばれています。また御衣を召しておられ、数十年に一度衣替えの行事が行われます。現在の御衣は昭和三十七年(一九六二)に高松宮宣仁親王殿下のご寄進になるものです。太子像の祀られている聖徳殿奥殿は、大正三年(一九一四)に竣工した、法隆寺夢殿を模した八角円堂です。
講堂の裏手にある聖宝殿には、行基菩薩作の日光、月光菩薩立像や十二神将立像八躯(国指定重要文化財)、勝鬘経講讃図、摩利支天像など、多くの宝物が展示されています。

●休憩施設
六十人。事前に寺へ連絡のこと。志納。

●拝観料
聖徳殿内陣拝観、拝観料志納。聖宝殿拝観三百円。

●道順
徒歩
JR山陽本線・網干駅南口下車、山崎行神姫バスで約5分「いかるが鵤」下車、300m歩く。網干駅北口よりタクシーの便あり、約3㎞。姫路駅前より竜野行神姫バスで約30分、「鵤」下車、300m歩く。
自動車
山陽自動車道龍野ICより約10分。または、太子竜野バイパス福田ICを南下、鵤北の信号を右折、200m先の標識を左折。門前に無料駐車場あり(春会式の期間中は駐車不可)。





第24番 妙徳山 神積寺 じんしゃくじ
天台宗 通称・田原の文殊さん
〒679-2205
兵庫県神崎郡福崎町東田原1891
電話 0790(22)0339

●優雅な藤原仏が祀られた寺
寺伝によれば、比叡山延暦寺の第十八代座主じえ慈恵大師良源の高弟けい慶ほう芳上人が、全国をじゅん巡しゃく錫のとき、この地へ来られました。現在の辻川の有井堂(現存)に一夜の宿を取られると、枕元に文殊菩薩が立たれ、「この東の山裾は仏法興隆の聖地であるので、薬師如来を祀り衆生を済度せよ」と告げられたといいます。山号の「妙徳」は文殊の異名であり、今も「田原の文殊さん」と慕われ、入学、就職の祈願に多くの人々が訪れます。
一条天皇の勅願により、当山が開かれました。上人の弟子、三条天皇の第七皇子覚照阿闍梨の帰依によって、寺運はさらに隆昌し、七堂伽藍と五十二院を数える隆盛を見ました。しかし、延慶二年(一三〇九)火災に遭って焼失。現在の建物は、天正十五年(一五八七)有馬法印によって再建されたものです。
本尊の薬師如来坐像は、優雅で豊満な藤原仏の特色を色濃く残しており、国の重要文化財に指定されています。また、寺の西の小高い丘の上に建つ石造の五重塔は、鎌倉時代のもので県の文化財になっています。この塔の下が慶芳上人のご廟所で、土地の人はここを「じょうぼこ定祠さん」と呼んでいます。上人はここに大きな穴を掘り、その中に入ってお経と念仏を唱え、足を組み鉦を打って定に入られました。中の音が聞こえる穴が開けられ、念仏と鐘がやんだら穴をふさぐように遺言されたと伝えられています。
神積寺では、八百年前から伝わる「つい追な儀しき式または修正会」の行事が毎年一月成人の日に行われ、遠近よりたくさんの参拝者で賑わいます。本尊の薬師如来が「山の神」に姿を変え、お供に赤鬼(日光菩薩)、青鬼(月光菩薩)を従えて、松明を振りかざし、息災延命、家運隆昌、七難即滅、七福即生、諸願成就を祈り、燃え終わった松明を空中に投げ上げ、参拝者は悪魔退散、災難除けとしてこぞって松明を奪い合います。
境内には、本堂より五〇メートル南東に、奈良の藤の木古墳と同じ時代と思われる横穴式古墳があります。石室は早い時期に盗掘され、内部には何も残っていませんが、考古学研究には貴重な存在です。民俗学で有名な柳田国男の生家が神積寺の南西約一キロのところにあります。こうした風土が柳田国男を育てたといえそうです。

●宿泊・休憩施設
すぐ近くに文殊荘あり(要予約)。TEL〇七九〇‐二二‐四〇五一

●拝観料 
志納

●道順
交通機関
JR姫路駅より播但線にて福崎駅下車、東へ徒歩約40~50分、タクシーの便あり。姫路駅より神姫バス粟加行または瀬加行に乗り「辻川」下車、東へ徒歩約20分。
自動車
中国自動車道福崎ICを出て、播但連絡道路を和田山方面へ北上、まもなく福崎北ランプで降り、県道23号線を右折、播但道路の下をくぐり、最初の道を左折突当り。自家用車、バス無料駐車場あり。





第25番 十九峰 達身寺 たっしんじ
曹洞宗
〒669-3626
兵庫県丹波市氷上町清住259
電話 0795(82)0762

●仏像の魅力、達身寺
この寺は、行基菩薩によって開かれたといわれ、当初の寺名は不明です。正徳二年(一七一二)に竹雲提山和尚の発願により、師である円通寺(氷上町御油)二十五世大庵清鑑和尚を開山とし、曹洞宗の禅寺として火を灯し現在に至っています。寺名については、十九山のたる達み身どう堂をこの地に移したため、十九峯達身寺と名付けられました。
寺伝によると、織田信長の丹波平定の命を受けた明智光秀が、篠山城や保月城などを攻めました。達身寺は当時、僧兵を大勢抱え、山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと伝えられています。その僧兵が保月城に加勢をしたため、保月城を落とす前に寺が焼かれました。寺が焼かれる前に仏像を守ろうと、僧侶たちが谷へ運び下ろし、仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられています。
元禄八年(一六九五)この村に疫病が流行り、多くの人々が亡くなりました。占い師に占ってもらった結果、「三宝を犯した仏罰である」と言われ、村人たちは山に登り、谷あいに放置された仏像を集め、破損していたたる達み身どう堂をこの地におろして修復し、仏像を安置したというのです。
達身寺の仏像は、すべて木彫仏であり、大半が一木造りです。達身寺の仏像の特徴は、一寺に一躰奉ればよいといわれていると兜ばつ跋毘沙門天が十六躰もある、本尊仏になる仏像が多い、未完成の仏像がある、仏像のお腹がふくらんでいる(これは達身寺様式と呼ばれていいる)などが挙げられます。
郷土史家によれば、「達身寺は山岳仏教の教権を張った大寺院というより、お堂を多く持った工房だったのではないか。そこに丹波仏師がいて、造仏していたのではないか」。
達身寺に丹波仏師がいたと認めれば、未完成の仏像がある、本尊仏が多い、同名の仏像が多いなど昔からの疑問は氷解します。もうひとつ、奈良・東大寺の古文書に、「丹波講師快慶」と記されています。鎌倉時代の有名な仏師・快慶が「私は、丹波仏師である」と言っているのです。とすれば、快慶は、この地から出た仏師、または達身寺とつながりの深い仏師といえるかもしれません。ただ、平安弘仁期から鎌倉初期の古い仏様が沢山おられることだけは、はっきりしている事実です。


●宿泊・休憩施設
近くに市施設「やすら樹」あり。

●拝観料
一人四百円、二十人以上の団体三百円。

●道順
徒歩
JR福知山線いそ石お生駅か柏原駅下車、タクシーで清住へ。
自動車
近畿自動車道舞鶴若狭線春日IC―北近畿豊岡道氷上ICから県道を北上、氷上北交差点で左折、清住へ。または国道175号線、176号線で氷上町に入り稲継交差点から県道を北上、氷上北交差点で左折、清住へ。寺の前にバス10台程度無料駐車可。





第26番 医王山 長安寺 ちょうあんじ
臨済宗南禅寺派
〒620-0928
京都府福知山市奥野部577
電話 0773(22)8768
テレホン法話 (22)2000

●丹波最古の七仏薬師
今をさかのぼる千四百年前、第三十一代用明天皇の第三皇子、聖徳太子の異母弟にあたる麻呂子親王が、勅命によって古丹波の国大江山千丈ヶ岳に住む鬼征伐の途中、戦勝祈願のため七躰の薬師如来像を刻み、七つの寺院に奉納されました。そのうちの一躰がこの地に奉祀され、当寺の沿革が始まりました。
平安時代初期になり、薬師如来を本尊とし、真言宗の鎮護道場として金剛山善光寺が創建されました。その後、長安寺と改名し、二十五ヵ寺の坊を有し、三重の搭や諸堂を完備、中世に栄えていましたが、応永元年(一三九四)火災にかかり、諸堂をことごとく焼失しました。
時代は下って文明六年(一四七四)夢窓国師の法嗣、悦堂禅師が諸国巡錫の際、姫髪山に登り、方一間の草庵に薬師如来が安置されているのを見て、その年の秋、現在の寺域内に七堂伽藍を再建し、禅宗に改めました。しかし、その後も戦乱時代が続き、再三焼失しました。
天文十三年(一五四四)に眼光恵透禅師が入山し、これを嘆かれた福知山初代城主杉原家次公の帰依により、山号を医王山として再々創建されました。今の薬師堂は寛政六年(一七九四)に再建されたもので、お祀りされている薬師如来は、三十三年目ごとに開扉される秘仏です。
現在の長安寺は、本堂、薬師堂、開山堂、観音堂、弁財天堂、大師堂、心経堂、山門等を揃え、姫髪山麓に位置し、臨済宗南禅寺派の別格地になっています。
境内には樹齢六百年の乳垂れ銀杏があり、その気根を煎じて飲めば乳の出がよくなるといわれています。また本堂前の薬師三尊四十九灯の庭は重盛完途によるものです。近くには長安寺公園があり、四季の変化に富んでいます。特に秋の紅葉は美しく、丹波のもみじ寺として市民からも広く親しまれています。

●休憩施設
長安寺公園内に休憩所あり。

●拝観料
三百円

●道順
徒歩
JR福知山駅より京都交通バス奥榎原・小牧行にて「半田」下車、徒歩40分。福知山駅よりタクシーの便あり、約6㎞。
自動車
国道9号線で福知山市に入り新庄より国道429号線に入り500m、下豊富農協を右折して2㎞直進。無料駐車場あり。





第27番 紫金山 天寧寺 てんねいじ
臨済宗妙心寺派
〒620-0077
京都府福知山市字大呂1474
電話 0773(33)3448

●丹波の古道場
天寧寺は、室町時代にこの地方の地頭職おおなか大中おみ臣一族の氏寺として、金山宗泰が建て、愚中周及禅師を開山として創建された禅寺であり、もとは禅宗二十四流の一派・愚中派の本山です。足利四代将軍義持が師に深く帰依し、祈願寺として以来、代々の将軍や領主がこの寺を保護し、当時は十万石大名と同格の扱いを受けた丹波の古刹です。
福知山市の北部に位置し、国道九号線より国道一七五号線に分かれ、三キロほど行くと北近畿タンゴ鉄道・宮福線下天津駅があります。そこを左折し、谷あいを約三・五キロ入ると、右手上方に天寧寺があります。急な坂を上れば自家用車は境内まで行けます。
境内には、京都府指定文化財の薬師堂が正面にあり、本尊薬師如来、日光・月光両菩薩、十二神将がお祀りしてあります。その右は六角円堂の祖師堂で、開山の愚中周及禅師と、愚中の師・しっ即きゅう休けい契りょう了禅師の木像を安置しています。
即休は元(中国)の人で、愚中が天竜寺船で元に渡り、鎮江の金山寺で研学に励んだとき、指導を受けた師です。
開山の愚中禅師は、天寧寺を開くに当たって、留学の地に因んで山号を紫金山と号し、山下の渓流を揚子江と呼んで、即休禅師の師恩に応え、修行と庶民の教化にあたったのです。
天寧寺の特徴は、禅寺として北丹地方に初めての本格的な禅道場があることです。鬱蒼とした原生林を背景に、静寂に包まれた中で、坐禅によって自己を見つめ直す場を提供しています。
また、多くの文化財を所蔵しており、李龍眠の「十六羅漢図」、即休契了禅師の頂相は国の重要文化財に指定されています。愚中周及禅師の法衣、遺品類は、京都府の指定文化財となっています。
天寧寺の門下には、大呂自然休養村センターがあります。宿泊施設、キャンプ場、テニスコート、ナイター設備の整ったグラウンドゴルフ場があり、心と体にゆとりとやすらぎを与える別天地となっています。


●宿泊・休憩施設
天寧寺の門下に福知山市大呂自然休養村センターあり。休憩百人、宿泊五十人可、要予約。

●拝観料
志納

●道順
徒歩
JR福知山駅より宮福鉄道に乗換え、下天津駅下車、徒歩約3.5㎞。または福知山駅より舞鶴行京都交通バス、または雲原行丹海バスで「下天津」下車、徒歩3.5㎞。福知山駅よりタクシーの便あり、約20分。
自動車
国道9号線福知山市牧交差点から国道175号線に入り約3㎞、下天津バス停より左折約3.5㎞。福知山駅より約10㎞。自家用車は境内および休養村センターに、合わせて50台駐車可。バスは休養村センターに5台可。





第28番 亀居山 大乗寺 だいじょうじ
高野山真言宗 通称・おうきょでら応挙寺
〒669-6545
兵庫県美方郡香美町香住区森860
電話 0796(36)0602
http://www.daijyoji.or.jp(メイン)
http://museum.daijyoji.or.jp

●円山応挙と直弟子たちの立体曼荼羅
大乗寺のあるか香すみ住は、城崎温泉と湯村温泉のほぼ中間に位置し、松葉ガニ、カレイ、イカの漁で賑わいをみせる山陰屈指の漁港町ですが、山も間近に迫り、鮎が泳ぐ清流もある風光明媚な田園地帯でもあります。
大乗寺は、山号を亀居山と称し、弘法大師を開祖とする高野山真言宗の寺です。聖武天皇の御宇天平十七年(七四五)に行基菩薩によって開山され、行基菩薩自ら聖観世音菩薩立像を彫刻されて本尊としてお祀りになったのが始まりと伝えられています。この聖観世音菩薩は、国指定の重要文化財です。また薬師堂には、十一世紀末に仏師智円によって彫られた薬師如来坐像が安置されており、県の重要文化財に指定されています。
寺は一時衰退しましたが、安永年間、密蔵法印が伽藍の再建に尽力し、弟子密英上人が後を継いで完成させました。その際、客殿に円山応挙とその一門の手になる障壁画が描かれました。そのため応挙寺とも呼ばれ、多くの文人雅客が参拝しています。
円山応挙(一七三三~九五)は、初め狩野派の石田幽汀に学び、その後自然の写生に専念したり、西欧の遠近法等の手法を学んだりして、独自の新しい画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持されて、画壇の第一人者となり、円山派の祖と仰がれています。
応挙が修行中の貧しい頃、当寺の住職が彼の才能を見込んで学費を援助したことが縁で、恩返しとして応挙をはじめ、応瑞、守礼、呉春など十二名の弟子とともに、客殿の大小十三の部屋に障壁画を描いたのです。それが、今私たちが見る障壁画百六十五面であり、すべて国の重要文化財に指定されています。これらは計算し尽くされた配置により、立体曼荼羅の世界を構成しており、絵画が地域、建物、空間、宗教と渾然一体となる、応挙絵画の「場」としての思想の完成を示すともいわれています。

●宿泊・休憩施設
なし。香住町内に民宿百余軒。

●拝観料
大人八百円、小中学生五百円。四十人以上の団体は割引あり。

●道順
徒歩
JR山陰線香住駅下車、歩いて20分。
自動車
国道178号線で香住に入り、村岡への道を約5分左側。国道9号線村岡より30分。





第29番 末代山 温泉寺 おんせんじ
高野山真言宗
〒669-6101
兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
電話 0796(32)2669(本坊)、2689(庵)

●城崎温泉守護の寺
城崎温泉は、地蔵菩薩の化身といわれる道智上人が、衆生済度の大願を起こして諸国を巡錫の折り、養老元年(七一七)この但馬の地に来ました。当所鎮守四所明神の神託により、一千日間の祈願修行になし、養老四年(七二〇)温泉を開きました。(現在のまんだら湯)その後、大和長谷寺の観音と同木、同作の観音像を感得して、温泉寺を開創しました。天平十年(七三八)聖武天皇より城崎温泉の守護寺として末代山温泉寺の号を賜った名刹です。
現在、城崎温泉には百軒余りの旅館、ホテルがあり、それぞれに内湯がありますが、元来は外湯を中心に発展してきた温泉地であります。現在七ヶ所の外湯があり、「七湯めぐり」と称して浴客に人気があります。この七湯めぐりを七度(旅)することにより四十九の徳を得、終始苦難を免れるといわれています。
城崎温泉では元来入湯、湯治の諸人は先ず当山に参拝し、開祖道智上人の霊前に感謝を捧げ、「古式入湯作法」と言う入浴方法を授かった後に初めて外湯へ向かうのが慣わしでした。当山本尊は城崎温泉守護の本尊であり、湯治、入浴によって得られる効験は当山薬師如来の霊験であると諸人の信仰を集めておりました。
薬師堂前には境内より湧出の源泉「やくし湯」の湯飲み場があります。また門前には足湯もあり自由にご利用いただけます。
西国薬師のご参拝、ご朱印を希望の方は、山門を入り薬師堂にご参拝ください。ロープウェイを利用する必要はありません。時間に余裕のある方は、ロープウェイにて本堂へもご参拝ください。
本堂は、室町時代の代表的建造物で重要文化財に指定されています。また本尊十一面観音(秘仏)、千手観音など多数の仏像、文化財を安置しています。本堂横には、城崎美術館があり、温泉寺所蔵の仏像、仏画、古文書などが展示してあります。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩施設 薬師庵。百人可、事前に連絡のこと。費用は志納。

●拝観料
薬師堂 無料。本堂・美術館共通四百円。

●道順
徒歩
JR山陰線城崎温泉駅下車、温泉街を西へ歩いて15分。または駅から町内バスで「鴻の湯」下車すぐ。駅からタクシーの便あり。
自動車
豊岡から円山川に沿って北上、城崎温泉街で左折、温泉街の中を西へ突当り。有料駐車場あり(マイクロ=一晩2500円・2時間以内1500円、小型・普通=一晩1300円・2時間以内700円)。





第30番 医王山 多禰寺 たねじ
真言宗東寺派
〒625-0152
京都府舞鶴市字多禰寺346
電話 0773(68)0026
連絡所 (62)1180

●目と耳を癒してくれる薬師さま
多禰寺は、大江山の鬼退治の伝説とも関係があるようです。今から千四百年以上も前、丹波丹後地方に三大豪族が君臨しており、大和朝廷に対して反旗を翻しました。同じ頃この地方に悪病が流行し、人々は不安におのの戦いていました。当時の帝は用明天皇でしたが、大変心を痛められ、「すぐに乱を平定し、病の人々を救うべし」と、天皇の第三皇子(聖徳太子の弟君)まろこ麻呂子親王に命じられました。麻呂子親王は自ら討伐軍を率いて大江山にむかい、激戦の末、反乱を平定されました。
親王は戦勝を祈願して、薬師如来を七体刻んで七つの寺院に奉納されましたが、当地にこの寺を建て、その一体を祀られたといいます。薬師如来による施薬救済の法を伝えるとともに、民心の安定をはかり、仏法と医薬によって、病苦の人々を救いました。当寺はこの地方に最初に仏教をもたらした寺といえます。
平安時代になると、中興の祖となる奇世上人が現れます。その博識は桓武天皇に認められ、平安京の造営に招かれて、実力を発揮しました。その功績によって、多禰寺は多くの寺領を賜わりました。七堂伽藍が整備され、八寺十二坊を擁する大寺となり、近郷の総菩提寺として繁栄しました。
しかし、室町時代以降、打ち続く戦乱に巻き込まれ、次第に衰退没落して、寺の威容は消えてしまいましたが、麻呂子親王ゆかりの七仏薬師への信仰は、脈々と受け継がれてきました。「多禰寺のお薬師さまは、眼と耳を癒してくれる仏さま」として知れわたり、今も地元の根強い信仰に支えられ、人々の心の中に生き続けています。
多祢山の中腹、海抜三百メートルのこの寺に着くと、山門の金剛力士像(重文)が雄々しく迎えてくれます。本堂には、薬師如来、日光・月光菩薩、普賢菩薩、不動明王、毘沙門天などの諸像が安置されています。
境内からは、舞鶴湾が眼下に一望でき、景色のすばらしさに息をのみます。薬草栽培跡地や境内、建物のたたずまいなどに、歴史の重さを感じさせられます。都会の華やかな寺と違って、杉木立に囲まれた静かな古刹の雰囲気と豊かな自然に思い切り浸ることができます。

●宿泊・休憩施設
なし

●拝観料
入山料二百円、宝物殿五百円。

●道順
徒歩
JR東舞鶴駅下車、タクシーまたは路線バス利用12㎞。
自動車
舞鶴若狭道東インターより10㎞約30分。





第31番 医王山 総持寺 そうじじ
真言宗豊山派 通称・頭の薬師、ぼたん寺
〒526-0831
滋賀県長浜市宮司町708
電話 0749(62)2543

●秀吉の城下町長浜のぼたん寺
総持寺は、天平の昔、行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて国分寺のためし試でら寺として開かれました。その後一時衰退しましたが、室町時代に、実済法印が足利義教公から六百石の朱印を賜り、諸堂伽藍を建立、後花園天皇の勅願寺となりました。
その後は、京極家や浅井家の庇護を受けて栄えました。姉川の合戦のあおりを受け、兵火によって七堂伽藍はことごとく焼失しましたが、豊臣秀吉の寺領百二十石の寄進により復興しました。
本尊の薬師如来は、賤が岳の合戦で負傷した永沢四郎衛門が、全快したのは仏のご加護と、お礼に菅山寺に奉納した仏を、井伊直興公が須弥壇と厨子を寄進して勧請しました。この像は、頭は平安時代、体部は江戸時代の作で、いわゆる大手術を受けています。このことから、「頭の薬師」と呼ばれています。
平安時代後期の寄木造の聖観音像、愛染明王の仏画は重要文化財に指定されています。県指定文化財の仁王門は寛永十二年(一六三五)建立で、中の仁王様は、両眼をぎゅっと見開き、参拝者の心の奥まで見通すように見えます。京都の仏師高野左京の作です。
県の名勝に指定されている中庭は、小堀遠州作庭の池泉回遊式で、春は不動岩を囲んで霧島つつじが美しい。小堀遠州は寺の西隣で生まれ、親族からの寺領寄進もあり、寺との縁は深いものがあります。
四月中旬から五月上旬に開花する、百種類一千株ある牡丹は、寒い冬の厳しさに耐えてきたためか、どことなく花が引き締まって見えます。
長浜は、豊臣秀吉が初めて城主として治めた城下町であり、信長によって被害を受けた総持寺に秀吉は寺領を寄進して復興したのです。その後を継いだ山内一豊、また、徳川幕府からも寺領は安堵されました。秀吉の馬印である出世瓢箪に無病息災をかけた「長浜六瓢箪霊場」の一つでもあります。

●宿泊・休憩施設
なし

●拝観料
文化財拝観四百円(要予約)。牡丹開花期は入山料が必要。

●道順
徒歩
JR北陸線長浜駅下車、長岡行バスで約12分、「みや宮し司きた北(総持寺前)」下車すぐ。長浜駅よりタクシー8分。
自動車
北陸自動車道長浜ICから南へ約3分。国道8号線、や八わた幡東交差点を東へ約300m。駐車場40台、大型バス3台可、無料





第32番 龍應山 西明寺 さいみょうじ
天台宗
〒522-0254
滋賀県犬上郡甲良町池寺26
電話 0749(38)4008
FAX (38)4388
URL http://www.saimyouji.com

●心のやすらぎと歴史を伝える古刹
湖東三山の一つに数えられる西明寺は、国道に面して総門が建ち、門をくぐって進むと両側に石垣積みのある、勾配の緩やかな参道が続きます。本坊前(旧本覚院)に着くと、「蓬萊庭」と名づけられている国指定の池泉観賞式庭園が目の前に広がっています。山の斜辺を利用し、本堂に祀る薬師如来、日光、月光菩薩の三尊仏と十二神将をあらわす石組があり、さつきの刈り込みが雲を表わし、薬師如来の浄土を庭園で具現化しています。
名高い天然記念物の「不断桜」は、九月頃から咲き始めて十一月に満開となり、秋には境内一円に千本を数えるもみじが紅葉して「桜ともみじ」のコントラストが楽しめます。さらに石段を登ると二天門(重文)に達します。門の正面に本堂(国宝第一号指定)その右手前方に三重塔(国宝)が配置されています。さらに三重塔の前方に鐘楼、後方の斜面に石造宝塔(重文)が建っています。
当寺は山号を龍應山といい、本堂には、内陣の厨子に安置されている秘仏薬師如来立像(重文)を本尊として、釈迦如来立像(重文)、不動明王、そして二童子像(重文)、広目・多聞の二天王立像(重文)など、数多くの文化財があります。
また、三重塔は中世彩色建築の代表的作例と評され、初重内部には四天柱内を須弥壇に作り、大日如来を安置して、須弥壇と床板を除く全面に菩薩像、仏具、花鳥文、法華経変相図が極彩色で画かれており圧倒されます。
当寺の創立は古く、縁起によれば仁明天皇の勅願によって承和元年(八三四)三修上人が開創しました。薬師如来の放った瑠璃光が、仁明天皇がいらした京都に向けて西方を明るく照らした事から、西明寺の勅願を賜ったと伝えられています。以来、当寺は仁明天皇の勅願寺として栄え、十七の諸堂、三百の僧坊を数える大寺院となりました。しかし、戦国時代に織田信長の焼き打ちにあい大半の諸堂が焼失しましたが、幸いにも本堂、三重塔、二天門が難を免れ、今私たちにその美しい姿を伝えています。

●食事休憩施設
門前に一休庵、一千名収容。

●拝観料
入山・国宝本堂仏像拝観・庭園観賞一人五百円。国宝三重塔壁画拝観は別に千円。三十名以上の団体は割引あり。三重塔内特別拝観期間は春、秋の二期に公開(公開期間は問い合わせを)。また、搭内特別拝観は文化財保護のため雨天中止。

●道順
徒歩
JR東海道線の河瀬駅または彦根駅、新幹線米原駅よりタクシーを利用する。
自動車
名神高速道路の八日市または彦根ICより国道307号線に入る。または国道8号線豊郷町から国道307号線の甲良町に入る。裏参道の本坊前に駐車場あり(乗用車・マイクロバスのみ)。大型バスは国道307号線沿いの駐車場に駐車のこと。





第33番 高富山 石薬師寺 いしやくしじ
真言宗 通称・石薬師のお薬師さん
〒513-0012
三重県鈴鹿市石薬師町一番地
電話・FAX 059(374)0394

●弘法大師お手彫り厄除石薬師
当山は、万葉集一三巻の長歌に「山辺乃五十師原爾内日刺大宮都可倍」云々とある地であります。そして、東海道五十三次石薬師宿として、名匠安藤広重の風景画に描かれた寺であります。
寺伝によりますと、今を去ること一千二百有余年前、聖武天皇の神亀三年(七二六)泰澄大師がこの地に来たとき、地鳴りとともに巨石が現れました。これは薬師如来が「金輪際」より衆生利益のために示現されたと感悟し、一宇の草堂を設け、霊石薬師として恭敬供養されました。
その後、嵯峨天皇の弘仁三年(八一二)、弘法大師自ら如来の尊像を刻んで、厄除けの秘法を行い開眼供養されました。それをきっかけに、ますます厄除け霊験あらたかになり、遠近の帰依信仰厚く盛んになりました。その評判はついに天皇の耳にまでに達するところとなり、嵯峨天皇勅願所となりました。
当時は、山内塔頭十二ヵ院を有し、壮麗なる堂房が建立されましたが、天正三年(一五七五)織田氏の兵火に遭い、殿堂僧坊一朝にして、ことごとく焼失しました。しかし、そんな災難にもご本尊は、光明赫々として灰燼の中に立たれていたのです。時の住僧えん圓けん賢法印は、恐懼おく能わず、ただちに仮堂を営み、香燭を供え敬仰供養されました。
徳川時代の初め慶長六年(一六〇一)には、かん神べ戸城主一柳けんもつ監物直盛公が深く霊験に感じ、報謝のため諸堂を再建せられました。その堂宇が現在に至っています。当時、参勤交代で東海道石薬師宿を通る大名は、必ず浄財を寄進して道中無事安全を祈念しながら、京に江戸に往来したことでしょう。
かつて村人は境内に入るときには履き物を手にして素足で参拝したという古老の話を耳にします。今にして思えば、真にありがたいことです。当山を訪れる文人詞客の方々は、いずれも仏徳を賛嘆し、霊光に随喜し、景観を賞揚しています。

●休憩施設
あり

●入山拝観料
志納

●道順
徒歩
JR関西線かさど加佐登駅よりタクシー約5分。または三重交通にて国道1号線「うえ上だ田ぐち口」下車すぐ。または近鉄鈴鹿平田駅よりタクシー約10分。
自動車
東名阪自動車道、鈴鹿ICより国道1号線に出る。(※←地図上の矢印の通りとあります。)または四日市ICあるいは亀山ICから国道1号線に出る。





第34番 搭世山 四天王寺 してんのうじ
曹洞宗
〒514-0004
三重県津市栄町一丁目八九二
電話 059(228)6797

●聖徳太子の戦勝祈願から生まれた寺
津駅を降りて南のほうへ五、六分歩くと、四天王寺の森が見えてきます。森の緑が目にやさしく、何となくホッとした気持ちになります。
崇仏派の聖徳太子は、用明天皇の頃(五八五~八七)、廃仏派の物部守屋と戦い、三度も敗れました。そこで、太子は自ら四天王像を刻み、戦勝を祈願し、「勝利の暁には寺院を建立し、四天王をお祀りします」と誓いを立てて戦い、勝利を収めました。戦の後、誓い通りに四天王を祀るお寺を建てました。その一つが当寺であり、もう一つが大阪の四天王寺といわれています。
平安時代には寺勢も大きく伸張し、この地方屈指の大寺に成長しました。戦国時代には度重なる戦火に焼かれましたが、そのつど再興を果たしてきました。徳川時代になると。元和元年(一六一五)、築城の名人とうたわれた藤堂高虎が津城主となり、当山を改築しました。また、二代藩主藤堂高次は寛永十四年(一六三八)寺領を寄進し、繁栄の一途を辿りました。太平洋戦争の末期の空襲では、本堂はじめ諸堂宇を失いましたが、戦後、現在の姿に再建されました。
山門は寛永十八年(一六四一)に再建されたもので、当山では昔を偲ぶ数少ない建物ですが、市の有形文化財になっています。主な文化財としては、鎌倉時代の絹本着色の聖徳太子十六歳の孝養像があります。父の用明天皇の病気平癒を願う強い意志と若々しさが表現されています。そして、藤堂高虎とその夫人の画像、さらに薬師如来坐像および胎内納入品が挙げられます。その三点は、いずれも重要文化財に指定されています。
薬師如来坐像は、平安後期の承保四年(一〇七七)にじょうちょう定朝が彫ったもので、像高六十五センチ、桧の一本造りです。何度も戦火に遭いながら、いつも難をのがれ、傷一つないお薬師さまです。胎内からは当時の寺領を書いた文書をはじめ、造像費用の寄進者名簿、玉、扇、櫛等二十五点が発見されています。境内には、庭園、有名人の墓碑や文塚など見所も多く、あちこちと散策しながら、ゆっくりと雰囲気を味わいたいお寺です。

●宿泊・休憩施設
前もって連絡すれば若干名可。

●拝観料
志納
・奉賛会報(はがき法話)ご希望の方は、50円切手を12枚お送りいただきましたら、1年間お送りします。

●道順
徒歩
津駅より南へ約1㎞。県庁の東南。バスは「県庁前」下車。
自動車
伊勢自動車道の津インターより県庁を目標に東へ約3㎞。





第35番 丹生山 神宮寺 じんぐうじ
真言宗山階派 通称・に丹う生大師
〒519-2211
三重県多気郡多気町丹生3997
電話 0598(49)3001

●お大師さまのお寺
このお寺は、正式には、女人高野丹生山神宮寺成就院と言い、地元の皆様からは「に丹う生大師」として親しまれております。
創立の歴史をたどってみると、宝亀五年(七七四)弘法大師の師匠である勤操大徳がお開きになり、その後、弘仁四年(八一三)弘法大師が伊勢神宮へ参拝のため、この地に立ち寄られた際に当地に来山され、わが師の開創された寺であることを知って、不思議な縁を感じられ、「われは高野の聖地に真言密教の根本道場を創立する誓願を立てているけれども、まずこの地に諸堂を建立し、庶民の苦悩を救わん」と言われ、弘仁六年(八一五)に至って、七堂伽藍を建立、整備されたのであります。
古代から水銀の産出地として富裕であったこの地は、中世に入って近郷の集落より一段と隆昌し、近世には「丹生の在家一千軒計り有りて、民屋富たる景気なり」といわれる程になりました。その後二度の兵火がありましたが、江戸時代中期頃にはほぼ現在の寺観が整いました。
山門をくぐると、直進する主軸の参道があり、それに沿って北側に、書院、護摩堂、鐘楼堂が並んでいます。その前の参道を隔てた場所には閻魔堂があり、そこから北上して石段を上ると、大師堂が全山を見下ろす位置にあります。石段下の東に観音堂が南面、薬師堂が西面しております。
広い境内には、池あり、流れあり、自然の高低をうまく利用した庭の作り、老樹、大樹のかもし出す独特の趣は、参拝者に心の安らぎと楽しさを与えています。薬師堂は、構えは小ぢんまりとしていますが、霊験あらたかなお薬師さんと評判が高く、かえってありがたさが増す思いがします。
大師堂の本尊である弘法大師像は、大師四十二歳の自作像です。寺院内の池に姿を写されて、衆生の厄除と未来結縁のため自ら刻まれ安置されたもので、さまざまな願いごとを聞き届けていただける丹生大師として、多くの人々の信仰を集めています。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩百人まで可、前もって連絡のこと。費用志納。

●拝観料
無料

●道順
徒歩
JR多気駅より多気町営バス勢和方面行、「丹生大師」下車(平日のみ運行)
時間については寺院までお問合せ下さい。
またはJR紀勢線とちはら栃原駅よりタクシー約10分。
自動車
伊勢自動車道の勢和多気ICを出て、おきん茶屋の角を左折約4㎞。(丹生大師の看板あり)
駐車場
大型バス3台、マイクロバス5台、普通車15台駐車可。無料。(山門前「ふれあいの館」)





第36番 日朝山 弥勒寺 みろくじ
真言宗豊山派
〒518-0609
三重県名張市西田原2888
電話 0595(65)3563

●仏像鑑賞に欠かせない寺
室生赤目青山国定公園に位置する名張市は、赤目四十八滝、こ香おち落だに渓、しょう青れん蓮じ寺こ湖といった地名のほうが馴染みが深いかもしれませんが、市内には古寺や史蹟が点在しています。弥勒寺もその一つです。この寺は伊賀地方屈指の仏像の宝庫として、その名が知られています。
当山は聖武天皇の時代、天平八年(七三六)に円了僧正が建立しました。創建当初は、弥勒菩薩を本尊とし、寺領百石を賜わりました。その後東大寺の第二祖といわれる良弁上人の時代に、七堂伽藍が整ったといわれます。
当初は日朝山福龍院と称した大寺院で、その伽藍の一つの弥勒寺に薬師如来、一言寺に十一面観音菩薩、言文寺に聖観音菩薩、行者堂に役行者倚像を安置して、隆盛を誇りました。
しかし、長い歳月のなかで幾度かの盛衰を繰り返し、明治初年に至ると寺域の荒廃が相当進んでいました。同十四年(一八八一)弥勒寺の大改修が行われました。その際、一言寺、言文寺などの伽藍を取り壊し、その木材、石材、瓦などを移築して改修にあてました。同時に、各堂宇に安置されていた仏像も、弥勒寺に集めたといわれます。
この地区に伽藍堂、寺屋敷等の地名が残っていますが、それが大伽藍の広大な寺院であったことの何よりの証しといえます。現在の本堂は昭和五十四年(一九七九)に改築されたものです。
所蔵仏像は、十一面観音菩薩、聖観音菩薩、いずれも国指定重文の立像で平安後期の作です。豊かな顔立、優美な気品漂う仏像です。県指定を受けているのが薬師如来坐像、弥勒菩薩、どちらも藤原後期の作です。
また、鎌倉末期の作とされる役行者倚像は力強い作風が特徴です。その他にも数体の仏像が安置され、どれも木造で等身大のものばかり。仏像鑑賞には欠かしてはならない重要な寺院です。

●宿泊・休憩施設
なし

●拝観料
三百円

●道順
徒歩
電車の場合、近鉄大阪線名張駅下車西口、または桔梗が丘駅下車北口へ、三重交通定期バス上野産業会館行「田原」下車、徒歩7分。
自動車
名阪国道上野ICから国道368号線バイパス南へ直進約15分、寺の看板あり。または名阪国道針ICから国道369号線より室生へ、165号線で名張市内蔵持町原出桔梗が丘センタービル前信号左折、368号線へ、寺の看板あり。





第37番 小田原山 浄瑠璃寺 じょうるりじ
真言律宗 通称・九体寺
〒619-1135
京都府木津川市加茂町西小礼場40
電話 0774(76)2390

●東に薬師如来 西に阿弥陀如来
浄瑠璃寺は京都府の南端に位置しています。この付近は古来より奈良の都の大寺の僧が、都の喧騒を離れ、静寂で清浄な世界を求めて修行・瞑想のために通った場所といわれます。
創建は諸説ありますが、現存する確実な文書「浄瑠璃寺る流きの記こと事」によれば、永承二年(一〇四七)たい当ま麻の僧〝義明上人〟の本願により、土地の豪族〝阿知山大夫重頼”を檀那として、小さなお堂を建てて始まったと記されています。このときのご本尊が、現在も三重塔内にお祀りされている薬師如来です。その薬師如来の浄土である〝東方浄瑠璃世界〟が、寺の名前の由来でもあります。
その後、阿弥陀如来をご本尊とした新たな本堂が建立され、池を中心とした庭園が整備されました。平安時代の末に、京の都、一条大宮より移築された三重塔内に先の薬師如来を安置し、現在の寺観ができあがったのです。 
参道から山門を入ると、正面に大きな池が現れます。左に進むと石段があり、その上の小高い丘に薬師如来を祀る三重塔。ここが境内の東側にあたります。池を挟んだ向かいの西側には、阿弥陀如来を祀る横長の本堂が建っています。
東方浄瑠璃世界の薬師如来を東側に、西方極楽世界の阿弥陀如来を西側に、そして中央にはほう宝ち池を置くという、平安後期・藤原期に盛んに作られた浄土式伽藍が、今もほぼそのままの形で残っている貴重な庭園です。
この寺では、まず東の塔の薬師如来に、過去からの命のつながりを感謝し、現実の苦悩の救済を祈り、その前で振りかえって、池越しに西の本堂の阿弥陀如来に極楽への往生を願うのが、本来の礼拝の形とされています。本堂には、阿弥陀如来が横一列に九体安置されています。これも当時三十棟以上建立された、九体阿弥陀堂の唯一の現存例です。また、池の東側をし此がん岸、西側をひ彼がん岸と称し、春秋の彼岸の中日には、搭前から見た夕陽がちょうど西の九体阿弥陀堂の中央の背後に沈んでいきます。
他にも本堂内には、藤原期の四天王像の内二体(他の二体は博物館へ出展中)と地蔵菩薩像、鎌倉期の不動明王三尊像、そして秘仏の吉祥天女像がお祀りされています。

●宿泊・休憩施設
なし。付近に茶店、加茂山の家あり。

●拝観料
三百円(本堂内)

●道順
徒歩
JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス111系統で約30分、「浄瑠璃寺前」下車(春・秋の観光シーズンには臨時バスあり)。またはJR加茂駅から奈良交通バス111系統で約15分、または10系統で約20分「浄瑠璃寺前」下車(いずれのバスも便数は少ない)。タクシーでは、奈良駅から約20分、加茂駅から約10分。
自動車
奈良市北郊・梅谷口より、または、京奈和自動車道木津ICよりJR加茂方面へ進み、浄瑠璃寺口バス停の先の信号を右折。門前に民間の有料駐車場あり。





第38番 東光山 法界寺 ほうかいじ
真言宗醍醐派 通称・日野薬師、乳薬師
〒601-1417
京都市伏見区日野西大道町19
電話 075(571)0024

●日野家の菩提寺
ひのやくし、乳薬師として知られる法界寺は、藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺です。弘仁十三年(八二二)藤原家宗が、慈覚大師円仁より贈られた伝教大師最澄自刻の薬師如来の小像をお祀りし、その後永承六年(一〇五一)、日野資業が薬師如来像を造って、その小像を胎内に収め、薬師堂を建立して寺としました。当時は観音堂、五大堂等多くの堂塔が立ち並んでいましたが、今では本堂と阿弥陀堂を残すのみとなりました。
薬師堂・薬師如来 
薬師堂(重文)は法界寺の本堂で、当初のものは早く焼失し、現在のものは明治三十七年奈良県龍田の伝燈寺本堂を移築したもので、棟木に康正二年(一四五六)の銘があります。薬師如来(重文)は、創建時の本尊で、像高八十センチ、白木の檀像で、衣文に素晴らしい截金模様があり、両脇には鎌倉時代の日光・月光菩薩、十二神将(重文)がお祀りしてあります。
安産・授乳の日野薬師 
薬師堂の外陣の格子には「安産・子育」等の願い事が書かれたたくさんのよだれ掛けが掛けられています。本尊の薬師如来が、胎内仏というところから、胎児をやどす婦人の姿であるとして、安産、授乳、子授、子育のご利益があり、特に女性の信仰を集めています。
阿弥陀堂・阿弥陀如来 
阿弥陀堂(国宝)は、藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想などの影響で、極楽浄土の具象化として各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建築の一つです。堂内には、平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様の丈六の阿弥陀如来像(国宝)が安置されています。周りの長押の上の漆喰の壁間には、天人の壁画(重文)が描かれており、法隆寺金堂壁画焼失後、完全なものとしては最古のもので、日本絵画史上貴重なものです。
親鸞聖人生誕の地 
日野家には鎌倉時代に浄土真宗を開かれた親鸞聖人が、承安三年(一一七三)に日野有範を父、吉光女を母として法界寺で誕生されました。九歳で得度されるまで日野で過ごされ、最初に仏縁を結ばれた寺でもあります。また、室町時代の日野家と足利家とは関係が深く、八代将軍足利義政の正室日野富子も日野一族です。

●拝観料
五百円(三十名以上四百五十円)

●道順
徒歩
市営地下鉄東西線石田駅下車、徒歩約20分。京阪六地蔵駅、JR山科駅より、京阪バスでそれぞれ「山科駅」「京阪六地蔵」行「石田」下車、徒歩13分。京阪六地蔵駅、JR六地蔵駅、地下鉄石田駅より、京阪バス「日野誕生院」行(30分に1本ほど)「日野薬師」下車すぐ。
自動車
名神京都東ICより国道1号線を経て外環状線を南下、石田森東交差点を左折。京滋バイパス宇治西IC(大阪から)より側道を通り、宇治東IC(滋賀から)よりそれぞれ府道京都宇治線を北へ旧奈良街道に入り石田大山交差点を右折。





第39番 醍醐山 醍醐寺 だいごじ
真言宗醍醐派総本山
〒601-1325
京都市伏見区醍醐東大路町22
電話 075(571)0002㈹
http://www.daigoji.or.jp

●醍醐寺開創当時から信仰を今に伝える
醍醐寺の草創は、貞観十六年(八七四)に開山の聖宝尊師が仏法相応の霊地を求めて京都深草の普明寺で七日間一身に祈り続けたところ、東の方向、笠取の山頂に五色の雲がたなびいているのが見えたので、早速登ってみると、まるで故郷に帰ったような心地になり、ここに精舎を建てようと思案しました。すると、谷あいに一人の老翁が湧き出している水を口にし、「醍醐味なり」と賞賛しているのが見えました。尊師は老翁に問いかけました。「私はここに精舎を建て仏法を弘めようと思うのですが、ここに永く住むことが出来るでしょうか」と、老翁は「この山は、古くから仏が練行していた洞のある場所であり、諸天の衛護している所で、諸天善神の雲集の地でもあります。そして、弥勒の出世の時まで在山の僧は絶えない所でありましょう。私はこの山の地主(横尾明神)です。この山を和尚に献上しましょう。仏法を弘め、広く衆生を救済してください。私もまたその浄行を衛護しましょう・・・」と、そのまま老翁の姿は見えなくなりました。尊師は准胝・如意輪二体の観音様を謹刻して小さな庵を建て醍醐寺と称しました。
延喜七年(九〇七)、聖宝尊師に深く歸依しておられた醍醐天皇のご請願によって、薬師如来と薬師堂・五大明王と五大堂の造営が始まり、第一世座主観賢僧正により完成しました。延喜十三年(九一三)には定額寺に列せられ、醍醐寺の皇室御願寺として名付けがなされました。そしてこのことは、下醍醐に釈迦堂、五重大塔の建立など、山上・山下にわたる壮大な寺院の尊容が整い多くの人々の信仰を集めました。
しかし歳月の流れの中では、天災・人災の嵐は容赦なく一山に吹き荒れ多くの堂宇も失う時期もありましたが義演僧正がおられた桃山時代には、豊臣秀吉の歸依を一身に受けて醍醐寺一山を中興され、慶長三年(一五九八)の春には豊太閤秀吉が、一世一代の豪華を誇った「醍醐の花見」が催されました。
薬師霊場となっている国宝・金堂も秀吉の歸依により再建され、お薬師さまを御本尊として開創当時からその信仰が今も脈々と続いています。

●宿泊・休憩施設
下伽藍林泉にお休み処「寿庵」電話〇七五‐五七二‐七八七八 食事・喫茶有り。
下伽藍にお休み処「雨月茶屋」電話〇七五‐五七一‐一三二一 食事・喫茶有り。

●拝観料
伽藍・三宝院・上醍醐各六百円、中・高生三百円、小学生無料、団体割引あり。霊宝館(開館時)一般六百円、中・高生三百円、小学生無料、団体割引あり。共通拝観券(上醍醐を除く二枚綴り・三枚綴り)あり。

●道順
徒歩
電車ならJR山科駅またはJR六地蔵駅・京阪六地蔵駅から地下鉄東西線に乗り換え醍醐駅下車、徒歩13分。バスならJR山科駅より京阪バス六地蔵行(22番・22A番)、JR六地蔵駅より京阪バス山科行(22番・22A番)、京阪六地蔵駅より京阪バスJR山科行(22番・22A番)に乗車、いずれも「醍醐三宝院」下車すぐ。
自動車
名神高速京都東ICから国道1号を京都五条方面へ、または阪神高速京都線山科出入口から外環状線小野経由、旧奈良街道沿い。





第40番 瑠璃山 雲龍院 うんりゅういん
真言宗泉涌寺派
〒605-0977
京都市東山区泉涌寺山内町36
電話 075(541)3916

●皇室ゆかりの写経道場
雲龍院は真言宗の総本山泉涌寺の別格本山であり、境内の一番奥まったところにあります。
泉涌寺は、東山三十六峯の南端、月輪山麓の清らかな湧き水のほとばしる仙境にあり、約四万坪の広さを備えています。皇室のご菩提所として、特異な格調高い法域でもあります。諸宗兼学の道場として、壮大にして華麗な殿堂がいらか甍を連ねており、かの有名な楊貴妃観音像も大門を入ったすぐ左手の観音堂に安置されています。
当院へは大門を横切り、左奥へと上がって行きます。雲龍院は、北朝第四代後光厳天皇が、泉涌寺第二十一世竹巌聖皐律師の法徳を慕われ、応安五年(一三七二)に創建されました。後光厳院はたびたび行幸になり、律師に聞法受戒しておられ、引導を受けて当院の背後の山に葬られました。後光厳天皇の御子後円融天皇、御孫後小松天皇も深く聖皐律師に帰依され、雲龍院の発展のため厚いご配慮をされ、ご葬送も当山で行われました。
後円融天皇は、康応元年(一三八九)如法写経を発願され、そのご宸翰により法要が盛んになりました。現在も毎月二十七日の開山聖皐律師の命日と、四月二十六日の後円融天皇のご祥月命日頃に厳修されています。延徳四年(一四九二)は後円融天皇の百年忌に当たり、ご尊影を絵所預の土佐光信に画かしめて御所で叡覧に供しました。今日重要文化財に指定されています。
文亀元年(一五〇一)後柏原天皇は綸旨をもって御黒戸御所を雲龍院に賜り、如法修殿と名付けられました。現在の本堂であり、重要文化財に指定されています。慶長元年の大地震で堂宇は大破しましたが、如周和尚が修理し再興されました。
信仰厚い後水尾上皇は、写経道具一式二百点を当院に下賜されました。また上皇の第七皇女光子内親王が書写された法華経が宝塔におさめられて、写経会の本尊として奉安されています。江戸時代後期には、皇室とのご縁故はますます深まり、玄関・方丈・勅使門を賜り、次いで明治元年(一八六八)歴代のご尊牌を奉安する霊明殿が現在のように再建されました。庫裡に祀られている大黒天は、俗に「走り大黒」と言われ、泉山七福神の第五番として信仰を集めています。

●宿泊・休憩施設
なし

●拝観料
三百円

●道順
徒歩
JR京都駅よりタクシーで約10分。京阪電鉄東福寺駅より約1㎞。市バス「泉涌寺道」より約500m。
自動車
名神高速道路京都南ICより国道1号線に入り、東大路泉涌寺道より東へ500m。無料駐車場あり。





第41番 法寿山 正法寺 しょうぼうじ
真言宗東寺派 通称・西山大師
〒610-1153
京都市西京区大原野南春日町1102
電話 075(331)0105

●平安の面影を残す「癒しの寺」
大原野は京都盆地の西南に位置し、平安時代には皇族や公卿の遊猟の地として古典文学にもたびたび描かれた、古跡に富んだ土地柄です。山野のかもし出す幽玄な風景は早くから仏徒の目をつけるところとなり、傷心を癒すにふさわしい場所として、西行法師、在原業平、木下長嘯子らがいずれもこの地に隠世しています。
一方で、短期で幕を閉じましたが、長岡京の都から西北の位置にあったことから、方角上、都を守護するための厄除けの儀式をする場所でした。伝教大師最澄は、この地に薬師如来を本尊とする大寺「大原寺」を建立。周囲を囲っていた四十九の塔頭の一つであった正法寺は、その後の歴史の有為転変で一山の寺々が煙滅していくなか、唯一現在に歴史を引き継いでいる寺であります。
天平勝宝年間、唐から鑑真和上の高弟として共に来朝した智威は、この地に隠世し薬師如来を祀って修行したといいます。その後は、応仁の戦火等もあって荒廃していましたが、江戸時代初期、戒律復興の祖・明忍律師の法友である慧雲、長圓両律師らが、智威大徳の遺跡を慕って再建したのが現在の正法寺です。本堂には、薬師如来のほか、三面形式の千手観音(重文)、弘法大師作と伝わる聖観音などが祀られています。
本堂での参拝が終われば、客殿で石庭を眺めながらゆっくりとくつろいでいただきたい。象、亀、フクロウ、ウサギ、獅子、蛙等の形をした名石が配置され、遊び心も手伝って「鳥獣の庭」と称されています。はるか東山連峰を見わたす借景も圧巻。春の桜、秋の紅葉をはじめ、四季折々に風情の感じられる名庭です。
書院には、西山の山並と四季の草花が、四つの部屋それぞれ一面に描かれています。さらに不動堂へ参拝の後、前庭にある水琴窟に耳を傾ければ、涼やかな音色を堪能していただけます。
大自然の中にたたずむ静寂さ、遠く平安の面影を今に残す周辺の景観とあいまって、正法寺はまさに「癒しの寺」の面目躍如たる古刹であります。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩五十人まで可。事前に寺に連絡のこと。費用志納。

●拝観料
三百円

●道順
徒歩
阪急京都線東向日駅下車、バス「南春日町」下車徒歩8分。阪急東向日駅または桂駅よりタクシー約10分。JR向日町駅よりタクシー約10分。
自動車
国道171号線から上植野(菱川)を西へ6㎞。または国道9号線くつかけ沓掛口から南西へ3㎞。境内に無料駐車場あり。大型バスは大原野神社駐車場へ。





第42番 小塩山 大原院 勝持寺 しょうじじ
天台宗 通称・花の寺
〒610-1153
京都市西京区大原野南春日町1194
電話 075(331)0601

●西行ゆかりの「花の寺」
当山は、京の西山連峰のふもとにある古刹であります。白鳳八年(六七九)天武天皇の勅命によって神変大菩薩えん役のぎょう行じゃ者が創建したのが、この寺の始まりです。
延暦十年(七九一)には、伝教大師が桓武天皇の勅命を受けて堂塔伽藍を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて、本尊とされました。
平安時代の初めには、弘法大師が、眼病に悩む人たちのため、不動明王に病魔退散を祈願されたところ、霊験あらたかでした。そこで、石不動明王を刻んで、岩窟の中に安置されたと伝えられ、以来、諸病平癒の不動様として信仰されています。承和五年(八三八)には、仁明天皇の勅願により、塔頭四十九院が建立され、大寺として整えられました。延長五年(九二七)醍醐天皇の勅命により、小野道風が「勝持寺」の勅願を納めました。
保延六年(一一四〇)には、鳥羽上皇に仕えていた北面の武士、佐藤兵衛のり義きよ清が、当寺において出家し、名を西行と改め庵を結んで隠棲、一株の桜を植えて吟愛しました。人々は、その桔梗形の八重桜を西行桜と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになりました。
室町幕府を開いた足利尊氏が六波羅を攻めるとき、当寺に宿を取り、住職から「勝持寺」の旗竿を献上され大いに喜んだと『太平記』に記されています。足利市の庇護を得て、寺
勢はますます盛んになりましたが、応仁の乱の兵火に遭い、仁王門を除きすべて消失しました。現在の建物は応仁の乱後に再建されたものです。
本堂の奥の瑠璃光殿では、本尊の重文薬師如来、本尊の胎内から発見された重文の薬師如来、同じく重文の金剛力士像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像などを拝することができます。
境内には、西行桜をはじめ、数種類約百本の桜が植えられています。その大半を占める染井吉野は、例年四月上旬に満開となります。また、同じ数ほどのもみじが自生し、例年十一月中旬には紅葉を迎えます。

●拝観料
四百円

●道順
徒歩
阪急京都線東向日駅下車、阪急バス南春日町行終点下車、徒歩約20分。JR向日町、阪急洛西口駅よりタクシー約15分。
自動車
名神高速道路京都南IC、国道1号線を経て、久世橋通で左折、国道171号線の久世橋を渡って洛西ニュータウンに入り、洛西高校で右折する。駐車場あり。





第43番 朝日山 神蔵寺 じんぞうじ
臨済宗妙心寺派 通称・佐伯薬師(佐伯のお薬師さん)、ひえ薭だの田野薬師
〒621-0033
京都府亀岡市ひえ薭だ田の野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝60
電話 0771(23)5537

●朝日山に抱かれて千二百年の静寂
延暦七年(七八八)比叡山延暦寺を建てられた伝教大師最澄が、その二年後の延暦九年(七九〇)に、延暦寺の薬師如来と同木で薬師如来坐像を刻まれ、この地に堂宇を建ててお祀りになったのが、この寺の始まりです。この地は比叡山の真西にあたり、朝日に映える山ふところにあるところから、朝日山神蔵寺と名づけられました。天台宗の道場として栄え、正暦年中(九九〇~九五)には塔頭二十六を数える大寺であったといわれます。
治承四年(一一八〇)源頼政が以仁王を奉じて平家討伐の兵を挙げたとき、以前から源氏の尊宗が篤かった神蔵寺は、源氏に味方し、大津三井寺の僧兵たちと呼応して平家に敵対しました。ところが、頼政は戦に敗れ、宇治平等院で自害してしまいます。そのため当寺は、平家に寺領を没収され、寺は荒廃していきました。
嘉禎元年(一二三五)には、天台宗の達玄僧都がこの地に来錫。伝教大師の末流として、この寺の再興を発願し、努力を重ねた結果、往時に劣らぬ大寺として再興することができました。それまでは女人禁制でしたが、その禁を解いたため、善男善女、袖を連ねて参るところとなりました。
応永年間(一三九四~一四二八)には、室町幕府の管領細川頼元が補修をしました。ところが天正三年(一五七五)、明智光秀が丹波へ入国する際、この寺を焼いてしまいました。ただ、本尊の薬師如来は、山奥へ難を逃れて無事でした。
承応二年(一六五三)には、浄土宗の願西が、本堂、阿弥陀堂、鐘楼等を建立、天台宗から浄土宗に変わりました。現在の本堂はその時のものです。延宝元年(一六七三)、亀山城主の松平伊賀守源忠昭公が、臨済宗妙心寺派の高隠玄厚和尚を請じて復興させ、禅宗として現在に至っています。
本尊の薬師如来坐像は、優美な中に包容力を感じさせる藤原末期の様式を伝える尊像で、国の重要文化財に指定されています。朝日山の大自然に抱かれたこの寺は、研ぎ澄まされた静寂の中にあり、山寺の雰囲気に包まれています。四季折々、お参りするたびに新しい魅力を発見する喜びを味わうことができます。

●宿泊・休憩施設
湯の花温泉旅館が近い。

●拝観料
志納金方式。開帳は予約制、電話で可。

●道順
徒歩
JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅より湯の花温泉行バスにて、「佐伯」または「上佐伯」「グリーンハイツ前」下車、徒歩約15分。
自動車
国道9号線バイパス亀岡ICより国道372号バイパスを西進5㎞。境内に無料駐車場あり。30台。大型バスは、参道下に駐車、徒歩約5分。





第44番 高雄山 神護寺 じんごじ
高野山真言宗
〒616-8292
京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
電話 075(861)1769
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/

●和気清麻呂ゆかりの名刹
平安遷都の提唱者であり新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(七八一)、国家安泰を祈願し、河内に神願寺を、ほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立しました。
神願寺の発願は、和気清麻呂がかねて宇佐八幡大神の神託を請うたとき、「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て、万代安寧を祈願せよ」というお告げを受けましたが、その心願を成就するために建てたと伝えられています。寺名もそれに由来しています。
私寺として建てられた高雄山寺は、海抜九百メートル以上の愛宕五坊のひとつといわれていることからすれば、単なる和気氏の菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられます。愛宕五坊のうち現存するのは、高雄山寺改め神護寺と月輪寺のみであります。
その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めることになりましたが、清麻呂の子息(広世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き、仏教界に新風を吹き込んでいます。
広世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼します。この平安仏教の第一声ともいうべき講演が終わると、最澄は還学生として唐に渡ることになります。一方、空海は留学生として最澄とともに入唐しましたが二年で帰国、三年後にようやく京都に入ることが許されるや高雄山寺に招かれ、以後数年にわたって親交が続けられ、天台と真言の交流へと進展してゆきます。
天長元年(八二四)真綱、仲世の要請により、神願寺と高雄山寺は合併し、寺名をじん神ご護こく国そ祚しん真ごん言じ寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に委嘱しました。それ以後真言宗として今日に至ります。平安末には、文覚が荒廃した神護寺の再興を生涯の悲願としましたが、その達成への道のりは厳しいものでした。上覚や明恵といった徳の高い弟子に恵まれて、元の規模以上に復興されました。

●休憩施設
休憩五十人まで可。事前に連絡のこと、費用志納。

●拝観料
五百円

●道順
徒歩
JR京都駅発のJRバス、または四条烏丸発の市バス8番にて、四条大宮、御室仁和寺前経由、「山城高雄」または「高雄」下車、徒歩約20分(バス所要時間約50分)。
自動車
国道162号線(周山街道)高雄で駐車、徒歩約20分。





第45番 魚山 三千院門跡 さんぜんいんもんぜき
天台宗
〒601-1242
京都市左京区大原来迎院町540
電話 075(744)2531㈹
http://www.sanzenin.or.jp

●天台宗五箇室門跡の一つ
三千院は天台宗五箇室門跡(妙法院門跡、青蓮院門跡、毘沙門堂門跡、曼珠院門跡)の一つであり、門跡寺院とは皇子、皇族がご住職になられた寺院で、当院は親王様がご住職をお勤めになった宮門跡であります。開基は伝教大師最澄上人(七六七~八二二)、ご本尊は最澄上人がお刻みになったと伝えられる薬師瑠璃光如来(秘仏)です。
三千院一帯は、上の院に来迎院、下の院に勝林寺をかまえ、南を流れる呂川、北を流れる律川の二川に挟まれ、魚山と号し天台声明(仏教音楽)の修行の地として栄えました。余談ですが、声明には呂曲と律曲があり、呂律が合わさった声明もあり、うまく唱えることができないと「呂律がうまく回らない」ところから「ろれつがまわらない」という言葉の語源にもなっております。
また当院は、古儀に基づき、歴代天皇・皇后両陛下の回向法要を修し奉る御懺法講の道場となっています。御懺法講とは天皇様が親しく宸殿玉座にご臨席遊ばされ、先帝を偲び供養する大礼です。三千院門跡門主(住職)がご導師をお勤めになり、大臣、大納言も式衆としてして加わり、山門(延暦寺)と魚山(上の院、下の院)の僧侶が出仕し、声明と雅楽をもって行う法要です。あわせて天下泰平・万民豊楽のご祈願も行われます。現在では毎年五月三十日を御懺法講奉修日と定め、一般のご参拝の皆様にも献香していただけます。
大原はその昔、極楽往生を願って多くの人々が隠棲し修行をした地でもあり、往生極楽院(重文)に安置されている阿弥陀三尊像(国宝)はまさしく極楽に座し、われわれ衆生をお救いくださる仏として平安の世より手を合わす人々が絶えません。また、不動明王立像、救世観世音菩薩半跏思惟像(いずれも重文)をはじめ、中古、中世、近世にわたって書写され蒐集された聖教や古文書が、円融蔵に保存されています。その円融蔵は、平成十八年秋に収蔵と展示室を兼ね備えた施設として完成。展示室の天井には、往生極楽院の舟底型天井を原寸大でしつらえ、極楽浄土を表した壁画が極彩色で復元されています。

●拝観料
大人七百円(団体三十名以上六百円)、中・高生四百円、小学生百五十円。

●道順
徒歩
JR京都駅、京阪三条駅、河原町四条駅、出町柳駅より、京都バスにて終点「大原」バス停下車、坂道を歩いて約10分。
自動車
白川通または東大路通を花園橋まで北上、橋を渡らず右折、国道367号線を約8㎞北上、民間の有料駐車場あり。





第46番 繖山 桑實寺 きぬがさざん くわのみでら
天台宗 通称・桑峰薬師
〒521-1321
滋賀県近江八幡市安土町桑実寺292
電話 0748(46)2560/4025

●日本の養蚕発祥の地
桑實寺は滋賀県の中央にあるきぬがさ繖ざん山の中腹にあります。創建は白鳳六年(六七八)で、天智天皇の勅願寺院として、藤原定恵によって開創されました。定恵和尚は、中国より桑の木を持ち帰り、この地において日本で最初に養蚕技術を教え広めたので、日本の養蚕発祥の地といわれています。山号の繖山も糸偏に散と書き、蚕が口から糸を散らしてマユを作りそれが絹糸になることにちなんだものです。往時には養蚕農家の人々や、絹織物の産地からの参拝者で賑わい、二院十六坊の宿坊がありました。
享禄四年(一五三一)足利第十二代将軍義晴が京都での争乱をさけ桑實寺に移住し、假幕府を開いています。この幕府は三年間続き、将軍滞在中の天文元年に「桑實寺縁起絵巻」を奉納しています。この絵巻は上下二巻、七段の絵詞で構成されており、絵は宮廷絵師土佐光茂、詞書は、後奈良天皇、青蓮院尊鎮法親王、消遙院三条西実隆の寄合書で、桑實寺の創建の由来および薬師如来、日光、月光菩薩の本願功徳を説いています。
絵巻の最終段は、日光、月光二菩薩をはじめ十二神夜叉大将が各々七千夜叉を従えた図で、都合すれば、八萬四千十二騎の随兵ができ、将軍義晴が上洛の祈願をこめてこの絵巻物を桑實寺に奉納したものと思われます。
その後の織田信長による近江侵攻や戦禍に関係なく現在に至りました。五十町歩の山林境内および瓢箪山古墳が国の史跡に指定され、南北朝時代建立の本堂(薬師堂)は国指定重要建造物に、「桑實寺縁起絵巻二巻」は国の重要文化財に指定されています。
境内には自然林がそのまま残されており、春の梅、桜、つつじ、さつき、あじさい、秋はもみじ、かえでなど紅葉が特に美しい。

●宿泊・休憩施設
宿泊施設なし。休憩所あり、五十名まで可。前もって寺へ連絡のこと。費用志納。

●入山料
三百円、団体割引二十人以上。

●道順
徒歩
JR東海道線安土駅より歩いて1.8㎞。山下までタクシーの便あり。
自動車
名神高速の八日市または竜王のICより国道8号線へ。8号線で安土町に入る。





第47番 岩根山 善水寺 ぜんすいじ
天台宗
〒520-3252
滋賀県湖南市岩根3518
電話 0748(72)3730
http://www.zensuiji.jp/

●善水寺の由来
奈良時代和銅年間(七〇八~七一五)元明天皇の勅命により、鎮護国家の道場としてこの地に草創され、和銅寺と号しました。
延暦年間(七八二~八〇五)、伝教大師最澄上人が比叡山を開創されたとき、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められ、この地を巡錫。桓武天皇がご病気になられた際、当山の霊水によって平癒されたことから「善水寺」の寺号を賜ったといいます。この霊水は今も境内で汲むことができます。
以来、天台寺院として繁栄し、七堂伽藍、僧坊二十六を有し、世の信仰を集めました。時は下って延文五年(一三六〇)火災によって本堂は消失しましたが、貞治五年(一三六六)足掛け七年の歳月をかけて、本堂が再建されました。この本堂は、桁行七間、梁間五間、入母屋造りの桧皮葺きの壮大な天台密教仏殿で、国宝に指定されています。宮殿風のしとみ蔀ど戸を用い、向拝を持たないその姿はことのほか美しい。
本堂附厨子内に秘仏本尊薬師如来をお祀りしています。本尊の胎内からは、多量の稲籾と正暦四年(九九三)の願文が見つかっています。梵天、帝釈天、四天王、僧形文殊菩薩、不動明王、兜跋毘沙門天も、本尊と同時期の像造と考えられており、この十体一組の尊像は、当時の比叡山根本中堂の様子を印写した、現存する唯一の一具像として貴重です。さらに堂内には金剛力士(旧仁王門像)、持国天、増長天(旧二天門像)、十二神将等三十余体の仏像を奉安し、そのうち十五体は重要文化財の指定を受けています。多くの尊像を間近で拝することができ、それはそれは壮観です。
そのうちの一体、当山で最も古い仏像が、金銅の釈迦誕生仏です。像高二十三・二センチ、奈良時代天平期の作と伝えられ、東大寺の国宝像に次ぐ国内屈指の誕生仏です。普段は未公開となっていますが、毎年五月五日の花祭りの当日には近くで拝することができます。このお姿の由来は定かではありませんが、聖武天皇、信楽宮、大仏造顕、近江国分寺さらに伝教大師と、関連されるそれらのゆかりを想うと、歴史の流れの不思議さを感じざるを得ません。


●休憩施設
要相談

●拝観料
五百円(団体二十名以上四百五十円)

●道順
徒歩
JR草津線甲西駅下車、湖南市巡回バス、下田方面行き「岩根」下車、北へ歩いて10分。
自動車
各方面より、「甲西大橋北詰」北上4㎞、十二坊温泉経由。または名神竜王ICより国道477号、県道13号を経て、「下田南」交差点を西へ3㎞、十二坊温泉を目指す。山上に無料駐車場あり、大型バス乗入可。





第48番 円城寺別所 水観寺 すいかんじ
天台寺門宗
〒520-0036
滋賀県大津市円城寺町246(三井寺山内)
電話 077(522)2238(円城寺事務所) (524)2416(西国札所)

●別所のお薬師さん
水観寺は、円城寺(三井寺)五別所の一つです。別所とは、平安時代以降、広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた円城寺の別院で、当寺のほかに微妙寺、近松寺、尾蔵寺、常在寺があり、総称して「円城寺五別所」と呼ばれています。昭和五十九年(一九八四)、本堂が滋賀県指定有形文化財に指定され、全面解体修理されることとなり、現在の場所へ移築されました。
当寺の歴史は深く、長久元年(一〇二八)、明尊大僧正の開基と伝えられ、中世最盛期には築垣を周囲に回し東西に総門を構える大伽藍でした。
明尊大僧正は小野道風の孫に当たり、顕密の奥旨を究め、円城寺長吏、天台座主を務められ、本朝唯一の八宗総博士に任じられた平安仏教界を代表する高僧であります。
創建当初、ご本尊には十一面観音を祀っていましたが、文禄四年(一五九五)、豊臣秀吉による円城寺闕所の際に失われたようで、江戸時代以降は薬師堂の薬師如来をご本尊として現在に至っています。本尊薬師如来は、一切衆生を病気、災難から救済する仏さまとして、今も近隣の人々の信仰をあつめています。
円城寺は、一般的には三井寺の名で親しまれています。三井寺には絶えることのない霊泉が境内にあります。その霊泉が天智・天武・持統の三帝の産湯に使われて「みい御井の寺」と呼ばれるようになり、さらに中興の祖である智証大師円珍が三部灌頂の法水として用いたので、「三井寺」になったといわれています。
三井寺の広い境内には数多くの堂宇が存在し、壮大な伽藍を形成しています。また、観音堂は西国観音霊場の第十四番札所であり、参詣の人の跡が絶えません。

●拝観料
大人五百円、中・高生三百円、小学生二百円。団体割引は三十名以上から。

●道順
徒歩
京阪電車石山坂本線の三井寺駅または別所駅下車、徒歩約5分。またはJR東海道線大津駅、湖西線西大津駅より京阪バスにて「三井寺」下車。タクシーの便あり。
自動車
名神大津ICより161号線に入るか、国道1号線、湖西道路を利用。門前に大駐車場あり。





第49番 比叡山 延暦寺 えんりゃくじ
天台宗総本山
〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町4220
電話 077(578)0001
http://www.hieizan.or.jp

●日本仏教の母なる山
「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡のみ山とぞいう」慈円和尚
古くより「山」といえば「比叡山」と言われてきたこの山は、全国でも有数の古寺であります。平安時代初期、伝教大師最澄上人によって延暦年間(七八二~八〇五)に創建され、八二三年に朝廷より「延暦寺」の寺額を賜りました。延暦寺は比叡山全体が寺域であり、寺域すべてを総称して延暦寺と呼ばれます。延暦寺は鎮護国家の道場、国宝となる人材の養成を目的に開創されました。
延暦寺はとう東どう塔、さい西とう塔、よ横かわ川の三塔(三つの地域)に分かれています。東塔は三塔の中心で、延暦寺の総本堂である国宝・根本中堂には伝教大師ご自作の薬師如来が祀られ、鎮護国家の道場として千二百年にわたって不断のみ御し修ほう法が行われています。また、大講堂、先祖回向を行う阿弥陀堂、延暦寺の国宝・重文等の宝物が拝観できる国宝殿、大黒堂、回峰行の本拠地で多くの信仰を集める無動寺明王堂など、重要な堂塔が集まっています。西塔は、山上では最も古い建物の釈迦堂を中心に、にない堂、椿堂、坐禅や写経等の修行体験ができる居士林研修道場などがあり、美しい中にも荘厳な雰囲気が漂っています。横川は、伝教大師の高弟・慈覚大師によって開創された横川中堂を中心に、おみくじ発祥の地で厄除のご利益で信仰を集める元三大師堂、僧侶の修行道場である行院など、昔日の面影を今に残す聖地であります。
比叡山の聖域である伝教大師御廟の浄土院では、戒律を厳格に守る侍真僧が宗祖の定めた十二年籠山を行いながら、ひたすら宗祖のご真影に侍り、落葉一枚残さない徹底した掃除がなされています。
比叡山では伝教大師の定めた籠山行を通じて千日回峰行、四種三昧など、現在もさまざまな修行が行われています。鎌倉時代には、法然上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人、親鸞聖人ら多くの祖師が、比叡山で「悉く仏性を有する」教えを学び、現在の日本仏教に大きな影響を与えました。この「山」は、「日本仏教の母山」と呼ばれ多くの信仰を集めています。

●宿泊・休憩施設
宿坊延暦寺会館二百五十人収容、予約のこと(http://syukubo.jp)

●拝観料 五百五十円

●道順
徒歩
JR京都駅または京阪三条駅から比叡山行バスで約1時間。
JR比叡山坂本駅からバスでケーブル坂本駅、または京阪石坂線坂本駅で下車し、ケーブルで延暦寺へ、そこから歩いて約600mで根本中堂に着く。京都八瀬からも行くことができる。
自動車
名神大津ICより国道161号線、または京都東ICより西大津バイパスに入り近江神宮ランプより山中越、京都白川より山中越、比叡山ドライブウェイ(有料)で延暦寺へ。びわ湖大橋、堅田方面からは、奥比叡ドライブウェイ(有料)で延暦寺第一駐車場へ。駐車場完備、無料。比叡山頂と延暦寺・横川間はシャトルバスあり(冬期運休)。




第1番:薬師寺やくしじ
第2番:霊山寺りょうせんじ
第3番:般若寺はんにゃじ
第4番:興福寺こうふくじ
第5番:元興寺がんごうじ
第6番:新薬師寺しんやくしじ
第7番:久米寺くめでら
第8番:室生寺むろうじ
第9番:金剛寺こんごうじ


第10番:龍泉院りゅうせんいん
第11番:高室院たかむろいん
第12番:禅林寺ぜんりんじ


第13番:弘川寺ひろかわでら
第14番:野中寺やちゅうじ
第15番:家原寺えばらじ
第16番:四天王寺してんのうじ
第17番:国分寺こくぶんじ
第18番:久安寺きゅうあんじ


第19番:昆陽寺こやでら
第20番:東光寺とうこうじ
第21番:花山院かざんいん
第22番:鶴林寺かくりんじ
第23番:斑鳩寺いかるがでら
第24番:神積寺じんしゃくじ
第25番:達身寺たっしんじ


第26番:長安寺ちょうあんじ
第27番:天寧寺てんねいじ


第28番:大乗寺だいじょうじ
第29番:温泉寺おんせんじ


第30番:多禰寺たねじ


第31番:総持寺そうじじ
第32番:西明寺さいみょうじ


第33番:石薬師寺いしやくしじ
第34番:四天王寺してんのうじ
第35番:神宮寺じんぐうじ
第36番:弥勒寺みろくじ


第37番:浄瑠璃寺じょうるりじ
第38番:法界寺ほうかいじ
第39番:醍醐寺だいごじ
第40番:雲龍院うんりゅういん
第41番:正法寺しょうぼうじ
第42番:勝持寺しょうじじ
第43番:神蔵寺じんぞうじ
第44番:神護寺じんごじ
第45番:三千院門跡さんぜんいんもんぜき


第46番:桑實寺くわのみでら
第47番:善水寺ぜんすいじ
第48番:水観寺すいかんじ
第49番:延暦寺えんりゃくじ
 



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